救済P

ドラえもん のび太と翼の勇者たちの救済Pのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

ドラ映画22作目。過去最強の作画力を誇る。

動き方が明らかに変わった。『ねじ巻き都市冒険記』から続いた1カットの中で枚数を費やしぬるぬるとした動きを実現させる手法から、カット数自体を増やし、場面の切り替えを早くするものに変わった。それ故に画面には疾走感があり、盛り上がりは「イカロスレース」で最高潮に達する。

90年ドラ映画から続く、冒頭に不穏を描く演出は過去一のクオリティを誇る。不穏だけでなく、「翼の勇者たち」というタイトル、そして重厚感を増し、コミカルさが軽減した映画ポスターに表れているように、人が空に抱く神聖な感じが冒頭からOPまでにこれでもかと含まれている。特にOPはこれまでにない配色や光の表現がなされており、ドラえもんに対する「近未来感」や「コミカルさ」とは全く違ったシリアスで荘厳な空気感が演出されている。

まるでRPGのようなシナリオが紡がれる。飛べない(=力のない)グースケの勇者としての立ち回り、武力的な支配ではなく政治的に追いつめてくる悪役、状況の打開のためにイカロスという賢人に助けを求める、宿命づけられた父子の関係、サポートするプレイヤーとしてののび太たち。『勇者』という単語は容易にゲームシナリオと結びつく。のび太たちが全てを先導するのではなく、あくまで一歩引いた立場から映画キャラの成長を促すシナリオは、ゲストキャラをまるでインスタントキャラであるかのように扱う映画と比較して丁寧で見応えがあった。

特に「イカロスレース」のシーンは破格のクオリティを誇る。圧倒的な作画力で描かれる疾走感のある鳥人間によるレースは爽快でありながら、羽ばたきや旋回の動きによるリアリティが混在している。画だけではなく、ツバクロウとの戦いはグースケだけでなく、成長したグースケの姿を捉えることでツバクロウ自らの考えを改めることにもつながっており、2人のアツいライバル関係をうかがうことができる。

ドラ映画といえば環境破壊批判だが過去作のように環境破壊がイコールで人間批判につながっているのではなく、環境と人間の共生がテーマとなっており意味のあるメッセージに改善されている。

しかし、面白いのはイカロスレースまでで、レース以降は転がり落ちるように面白くなくなっていく。「進化退化銃」で進化したフェニキアはどう見ても非理性的な退化した恐竜にしかみえない。フェニキアへの対処方法が「宇宙が生まれる前の時間に飛ばす」とあまりにも雑。「スモールライトでめちゃくちゃ小さくする」という現実的な案もなぜかすぐに諦めてしまう。そもそも敵がなぜフェニキアを操ることができると考えていたのかが不明。グースケがトラウマを乗り越えて飛べるようになるシーンは非常にあっさりとしていて感動できない。タイムマシンに内蔵しているショック砲でフェニキアを倒そうとするのも解決策と微妙すぎる。火事を収める手段として洪水レベルの濁流を流すのも旧約聖書的なオマージュをやりたかっただけ感がぬぐえない。最後までイカロスのなにがイカロスなのかわからない。

「イカロスレース」までが非常に丁寧に描かれていただけに、なんでもありになってしまう後半には落胆を隠せない。「ピーコを鳥人にしてしずかを助ける」や「中盤にグースケとツバクロウの関係を深堀しておく」などそれやっとけば絶対にアツいのにみたいなピン出しのアツさをことごとく取りこぼしている点も気になった。しかし全体的にはクオリティが高く、ドラ映画にはあまり見られなかった荘厳な神聖さと圧倒的な疾走感を感じることができるという点で価値のある映画。
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