これは『花のあと』とは真逆で、時代考証、セット、衣装、役者の立ち居振る舞い、演出等は良いのだけれど、何に遠慮してか、一番肝の部分を映画の中で描いていないので、何を言いたいのかは見る側が想像や学習で補わなくてはならない、というちょっと不親切な映画ですね。
上のように書いたのは、具体的には、関鉄乃介の経歴がきちんと描かれていなかったので、なぜ彼が暗殺の指揮官に選ばれたかということが、映画を見ただけでは判りにくい、という部分をさしています。
時系列に従わない回想シーンのため判りにくくなっているのではなく、この映画の判りにくさは、意図的に必要な描写を省略していることから来ているのであって、時系列どおりに構成し直しても尚、判りにくさは変わらないのではないかと思います。
それでもおぼろげながら、「三戸学」というものが、この物語に影響を与えているということは想像がつきましたが・・・
地方発信だけあって、京都で企画した時代劇にはない新鮮な視点や本気の部分がかいま見られて素晴らしいと思いましたし、CGを駆使したリアルな暗殺場面は本当に良かったのですが、それだけに、必要な情報を真っ正面から伝えるのを遠慮した作り方をしたのは、本当にもったいなかったと思いました。
それでも、見て良かったとは思いますが、娯楽映画としては判りにくすぎるように感じました。
(殺陣はリアルですが・・・ 2010/11/20記)