Mikiyoshi1986

ストーカーのMikiyoshi1986のレビュー・感想・評価

ストーカー(1979年製作の映画)
4.1
本日4月4日はアンドレイ・タルコフスキー監督の生誕85周年!

東京では本日、坂本龍一教授主催によるタルコフスキー上映会が開催されたそうで、なんとも羨ましい限りです…。

「ゾーン」と呼ばれる謎に包まれた立ち入り禁止区域を不法に先導する案内人"ストーカー"。
ゾーンには願いが叶うと云われる「部屋」が存在し、"教授"と"作家"の二人が"ストーカー"を雇ってその場所を目指します。

銃弾飛び交う警備を乗り越え、ゾーンに潜む危険を掻い潜りつつ、畏怖の念を持って慎重に案内を進めていくストーカーと、各々の願望をぶちまけながら歩を進める二人。
作家は女にもてはやされる人気作家でありながらもスランプに陥り、創作の閃きを求めてゾーンへ。
教授は物理学を専門とし、科学者としてゾーンの謎を探究するという名目で参加しています。

道中では三人の間で衝突や摩擦が生じ、「部屋」に近付くにつれてそれぞれの内面がさらけ出され、偽善や虚飾が露呈していくことに。
果たして彼らは「部屋」に辿り着くことが出来るのか。

このストーカーという男はまさにタルコフスキー自身の投影であり、
20世紀初頭のロシア革命以降、無神論を奉じるソビエト政権によって弾圧されるに至ったロシア正教会の歴史や、イコンなど否定された宗教芸術を「ゾーン」は象徴しているように思います。

映画監督として、そして何よりも信仰心の厚い芸術史上主義者という立場で当局の検閲と戦いながら、映画というツールを通して真摯に芸術と向き合ってきたタルコフスキー。
彼はインテリの代名詞である現代の「作家」や「教授」に対し、当局によって忌避された"神聖と芸術"への布教役を買って出るものの、
教授はそれらを破壊の対象と考え、作家は信仰を否定し、結局は彼らの本性に絶望することとなります。
と講釈を垂れつつも、神の御前を思わせる「部屋」を目前にビビっちゃうインテリ二人組ね。

家庭を省みず、妻や障害のある子供を犠牲にしてまで続けてきたストーカーの役割は無駄であったのか?
一方で「ゾーン」の番人であり、メフィストフェレスのような黒犬はストーカーに追従します。

色彩に溢れたゾーンとはタルコフスキーにとって価値ある遺産であり、生き甲斐であり、憩いの場であり、
劇中ストーカーが草花に身を預けて恍惚とするシーンは大変印象的です。

また、劇中で言及されるヤマアラシというストーカーは芸術よりも商業主義に魂を売った映画監督を揶揄しているよう。

本作の後、タルコフスキーは厳しい検閲を逃れるため実質的な亡命を企て、以後再びロシア(ソ連)の地を踏むことはありませんでした。
神秘主義はタルコフスキーの心を捉え、色彩を得たストーカーの子供はイエスの復活の如く、奇跡を起こして「神聖」の再興を予見させるのです。
Mikiyoshi1986

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