のほほんさん

サイレント・ランニングののほほんさんのレビュー・感想・評価

サイレント・ランニング(1972年製作の映画)
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初めて観たのは15年くらい前だったか。
初見の時は、地球で植物が育てられなくなったという未来社会において、宇宙船で植物を育てるというところに注目した様に思う。
そういった社会に対する啓発的なSF、というような。

再見し内容はあまり覚えてなかったなあと思いつつも、作品に対する印象が少し変わった。

まずは植物を守る為に宇宙船で育てるという計画が進んでいるという設定にありつつも、人々が植物(ひいては自然)に対して価値を感じていない、という視点。
植物を育てているドームを理由はよくわからんけど爆破して帰還せよ、という適当な命令や、植物を守ることに使命感を持つ主人公のローウェルに対する同僚達の冷ややかな目などからそれを感じる。

ちなみに、地球がどこに行っても気温が24度で、その為植物が育たないとのことなのだが(そういう環境で育つ植物はいくらでもあると思うが)、そのおかげで地球上では皆が平等になり仕事が全ての人に行き渡っているらしい。
この辺は共産圏を意識した当時のアメリカのSF感が感じられる。

同僚を殺害してまでドームを守ったローウェルは、その後誰も来ない宇宙空間を彷徨いつつロボットと生活を送る。
このロボットが愛らしくて、ポーカーを覚えたり仲間を悼んだりと人間味を備える様になる。
一方でローウェルは、同僚を殺した事に対しての自責の念が徐々に強まってくる。この殺害からの彷徨の展開において、ローウェルは自らの犯行を事故として擬装することに成功しているのだから中々酷い人である。
その結果あれほど心血を注いだ森に対する管理が疎かになり、森は段々と枯れてくる。本末転倒。
原因不明かと思われた森が枯れる原因は単なる日光の不足だったという、ど素人でも最初に考えそうなアホらしいオチがつくのだが、やがて彼をずっと捜索し続けてくれていた捜索隊との合流を前に、ローウェルは森の管理をロボットに任せて切り離し、自らは宇宙船を爆破し死を選ぶ。

人間が滅びロボットが自然を存続させるという、現代になってよりリアリティが出てきた展開の隠喩と言えなくもないが、それ以上に人間が「人間らしく生きること」をより濃く描きたかったのではないかと感じた。

捜索隊に発見されて人と人との間で再び生きることが出来るようになるローウェルは、そこで改めて自分の罪を認識したのではないか。そして死を選ぶことが、自らの人間味を保つ方法だったのではないか。
まあ、それまでの彼の描写は結構エゴイスティックにも見えるので、単に罪の重さに耐えきれなくなっただけにも見えるけど。

宇宙でひとりぼっち、という「オデッセイ」を先取りしたような作品だが、あっちの方がちゃんと植物育ててましたな。
なんにせよ、時間を経て作品への印象が変わるという面白い体験が出来ました。