夕飯真鯛

39 刑法第三十九条の夕飯真鯛のネタバレレビュー・内容・結末

39 刑法第三十九条(1999年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

堤真一の演技が凄すぎる。本当に演技が怖くて震えが止まらなくて目見開いて唇震わせながら泣いた。

鈴木京香さんも他の俳優陣も全員何か乗り移っているようにすら見えた。

そしてとにかく演出がどのシーンでも鳥肌が立ち目が釘付けになった。フィルムで視聴したため当時の時代性を感じられたため特別な映画体験をすることができた。

またフィルムに映し出された映像には何度も言葉を失い何度も唾を呑み込んでは鳥肌の立つシーンの連続で、本当に映画を見ていることを忘れるような感覚になった。

そして一番に感じたのは映画の切り取られたシーンを見ていると、妙に懐かしいような感覚になったこと。子供の頃に同じような景色を見たような不思議な感覚になった。

懐かしさからなのか怖さからなのか何故かどのシーンを見ても込み上げてくるものがあってこの人と一度話してみたかったと本気で思った。

知らないうちにこの人の作品を見ていたんだろうか。本当にどこかで見ていた気がする。夢が現実か分からない感覚になって今も込み上げてくる感情を抑え切れないでいるのが不思議でたまらない。

また凄いと思ったのは思ったのは、実際は全てのシーンが、綿密な計算のもと撮られているはずなのに映画を見ていても一切そんな雰囲気がなく本当に目の前で行われている出来事のような感覚になったこと。それ程までにとてつもない没入感があった。

特に堤真一さんの精神鑑定を初めてやるシーンではまず堤真一さんの演技力が怖かった。明らかに目から光が消えたカットが今も頭から離れない。そのシーンを見ながら身体の細胞が反応するような感覚になった。

また、衝撃的な映像の連続ですぐに思い出せないけど想像を遥かに超える畳み掛けるようなカメラークと演出にも涙が止まらなくなることがあった。強調したいのはとにかく人を撮る角度がうますぎると思った。人の表情が見えなくても人物の配置や仕草とそれを撮る角度といった構造だけで物語を語っているように感じる場面が何度かあり震えた。

他にも時に背中が語り、時に目が語り、時に周りの人が語り、時に椅子が壁にぶち当たることが語り、時にカラスが語り、野球ボールが語り、人のクセが語りと全てのシーンにこだわりと愛とキャラクター性のようなものを感じた作品だった。そして行き過ぎかもしれないが役者自身がハマりすぎているからか、役者自身に1人の人間としての現実性のようなものまで感じた。

石川慶監督が対談で映画を自分でも撮ってみて気付いたことは、森田さんはそうは見えないけれど、とにかく計算され尽くされたはずの撮り方をしているはずと話されていた。

実際、素人目からしたら全く自然に見えて、現場の人がアドリブでやったのではないかと思えるシーンが何度もあった。石川慶さんの話を聞き、恐らく僕がアドリブだと思ったシーンの中には計算され尽くしたものが何個も含まれているのだろうと思った。

志村けんさんも実はアドリブのボケはほとんどなくて、ほぼ全て計算され尽くしたコントをあたかも初めてのように演じているとどこかのTVで言っていた。

プロフェッショナルの域の人は皆んな、実際やってみればとてつもなく難しいことなのに、やってない人から見ればこの上なくシンプルでむしろ簡単そうに見えることをやっている人かもしれないと思った。あえて言うとすれば堤真一さんはシンプルに恐い。

他にも、ストーリーも面白い。メッセージ性も骨太で面白い。社会性も盛り込まれて面白い。商業映画的にもシンプルで面白いのが凄いところであると思った。

しかし一方でそこに詰め込まれているものが計り知れないように感じるから、身体の細胞が震えて涙が止まらなかったのではないかと思った。

最後に、小川カフカは精神鑑定士としてではなく1人の人として柴田マサキと対話していた。心に残った大切なシーン。ただそれを押し付けているわけでないことも柴田の言葉にはハッとさせられた。

柴田正樹の考えるように刑法は理不尽であっても、藤代の仕事が間違っているわけではない。今回の映画では自分が理不尽な状況であっても自分の主観と事実は別にして考えなければならないと思った。

圧倒的理不尽に立たされた柴田と鈴木カフカに生きると言うこととはということについて学ばされた映画体験になった。

人間的な面を見ることを放置しそうになっていたことを反省した。
夕飯真鯛

夕飯真鯛