イホウジン

セーラー服と機関銃のイホウジンのレビュー・感想・評価

セーラー服と機関銃(1981年製作の映画)
3.7
アイドル映画からの逸脱×ヤクザ映画からの逸脱=唯一無二の世界観

今作は良い意味で中途半端だ。アイドル映画にしては主人公は清純とは程遠い存在だし、むしろアウトローである。しかしヤクザ映画にしてはヤクザが弱々しく、「仁義なき戦い」のような激しさがあるわけでもない。このどっちつかずな感じが今作の普遍的な魅力であるのは間違いない。
この有り得ないクロスジャンルは結果的に絶妙なハーモニーをもたらした。この2つのジャンルから失われかけていた“等身大の人間性”を回復することに成功したからだ。
アイドル映画はその語が意味するようにある種の偶像性が前提に置かれがちだが、今作は結果的に薬師丸ひろ子をアイドルとしてではなく一人の人間として表現することに徹していたように見える。だから地雷も機関銃も表現として許容された。人間性の回復という文脈で考えると、終盤の「カイ、カン」はその達成とも受け取れる。
等身大の人間性の回復ということは、ヤクザ映画においても同様である。確かに「仁義なき戦い」のような今作以前の東映ヤクザ映画も素晴らしいが、それらはあくまで前時代的な家族システムや社会をベースにしたファンタジーに過ぎなかった。しかし今作に登場するヤクザたちは尽く品が無いかあまりにも弱々しい。この情けなさが最終的にはヤクザもまた一人の人間であるという、「ヤクザ=アウトローでかっこいい存在」として定着してきた概念を壊しにかかっている。

映画内の出来事が全体に突飛で、やや支離滅裂だった。異ジャンル混用の宿命なのかもしれないが、とはいえストーリーにはもう一捻り欲しかった。

どこか虚無感すらも漂う世界観は、後の「ソナチネ」にも通ずるものがあるようにも感じた。80年代邦画の到達点の一つとしての今作は非常に興味深い。
イホウジン

イホウジン