うぬぬ〜?名作と聞いていたが??
本作は一種の「監禁映画」にして「ストックホルム症候群」の話だと思います。
夫に先立たれた主人公の女性エイダ(ホリー・ハンター)は娘と1台のピアノと共にニュージーランドへやって来ます。再婚相手となるスチュアート(サム・ニール)のもとに嫁ぐためです。
口のきけないエイダが一心同体のように大事にしているのがピアノなのですが、スチュアートはピアノの存在を軽視し、地主のべインズ(ハーヴェイ・カイテル)の申し出により、ピアノと土地を交換してしまいます。
ピアノの所有者となったべインズは、ピアノでエイダを釣ることを試みます。
「エイダちゃん、ワシの家でピアノの個人レッスンしてくれへん?大事なピアノやろ?何も変なことはせえへんから!な?な?ええやろ?」
ピアノを人質にとられたエイダは渋々、べインズ宅に通うことになります。旦那であるスチュアートの目を搔い潜って。
かくして、ピアノを弾きたいエイダと、エイダの肉体を貪りたいべインズの攻防戦が始まったのであった・・・。
そう、べインズは最初っからピアノを習う気など無いのです。いかにエイダを誘惑し口説き落とすかしか考えていません。
エイダにとって自分の命に等しい「そのピアノ」がべインズに所有されてしまっている状況は、エイダ自身が間接的に監禁されているようなものです。
だから、これも男が女を監禁することで自身の所有物にしてしまうパターンの一種と考えられます。
はたして囚われのピーチ姫がクッパに好意を抱くでしょうか?いや、ないない。
とはいえ、一般的には理解しがたいかもしれませんが、被害者が加害者に好意的な心情を抱くようになる「ストックホルム症候群」を数多くの映画が証明してきてきました。そして本作のその例に数えられます。
そして、監禁映画の視点で本作を観ると、被害者であるエイダが加害者であるべインズに好意を抱くようになる過程はやはり心情的には理解しがたいものがあり、多くのポンコツ映画と同様に「なんでやねん!」になってしまいます。
本作をすごく単純化すれば、不倫映画なのですが、やはり間接的な監禁要素が印象としては色濃いため、エイダの心情の変化に観客が同調するのが難しいのではないでしょうか。