bluetokyo

霧の旗のbluetokyoのレビュー・感想・評価

霧の旗(1965年製作の映画)
4.1
すばらしい。山田洋次監督に、こんな隠れた傑作(別に隠しているわけじゃないけど)があるなんて。

犯人は誰なんだろう。あのサウスポーのサングラス、まあ、そうなんだろうけど、この映画はそんなことを言っているわけではない。

犯人は、運不運によって、恵まれた生活、貧困な生活、成功した人生、失敗な人生、が決まるということに、無自覚な、恵まれた成功者を許してしまう社会そのものなのだ。

そうした社会が犯罪者を生み出している、この映画はそう言いたいわけである。犯人は、そうした社会だ。

いったん、ここらへんで、幕引きかな、と思わせておいて、そこからのどん底への突き落としが、すごく快感だ。ざまあみさらせ、と思わせてしまう。

もっともいいシーン、泣けてくるシーンは、有名弁護士の大塚欽三が、愛人、河野径子を無実にしてくれるであろう、真犯人のライターを受け取るために、主人公の桐子の住む木造アパートの部屋を訪れるところ。
外から見て、ものすごくクソボロそうな木造アパートなのに、部屋の中は、すごくちゃんとしていて、温かな気持ちにさせてくれるような小物で飾られているのだ。
復讐の鬼となっている桐子の内面は、とても優しくて温かであることがわかる。

熊本バー、海草の先輩ホステス、信子の依頼で、浮気しているらしい恋人の尾行調査をする桐子。そいつは、どうやら、河野径子のレストランで働いているわけだ。で、浮気相手というのは、河野径子だったりする。
河野径子、その女は、雑誌記者、阿部幸一によると、有名弁護士、大塚欽三の愛人じゃないの。こいつは面白くなってきたわ、とほくそ笑む桐子であった。
たぶん、ラブホ代わりに使われている本郷あたりの一軒家。管理人みたいなおばはんを尾行している間に、浮気男の後を付けて、サウスポー殺人男が一軒家に入ったのだろう。殺人男は、浮気男を殺して、すみやかに出て行く。ただ、ライターを落としてしまう。
桐子が戻ってくると、女性が一軒家に吸い込まれていくではないか(ラブホだもの)。桐子は、戸の隙間から中をうかがおうと思ったら、入ったばかりの女が飛び出してきて、部屋で人が死んでいる、わたしが犯人じゃない、証人になって、と言い立てる。さらに、自分の名前は、河野径子、と名乗るのだ。

このとき、桐子は、やった、罠に掛かった(罠を仕掛けているわけではないが)、と思ったに違いない。ぱっと、部屋を見渡すと、河野径子の手袋が落ちているではないか。さらに、犯人のものらしいライターも落ちている。
一軒家の外に出て、桐子と河野径子は、別れる。すると、桐子は、再び、犯行現場に戻るのだった。これで、大塚弁護士を引きずり落とすことができる、と確信したのだろう。

不運な桐子の兄貴。
学校の先生なのだが、修学旅行のおカネを紛失してしまうのだ。紛失自体が不運なのだが、それ以前に、紛失しても、たとえば、上司、同僚、親戚、知人、等、無利子無担保で立て替えてやるよ、というような、環境にいないことが、そもそもの不運なのだ。それどころか、その紛失を理由に解雇されてしまう。そういうときに限って、紛失しちゃうんだよな。
次の不運は、悪質なカネ貸しババアにカネを借りてしまったことだ。こうしたカネ貸しのどこが悪質なのかというと、もう、骨までしゃぶりつくそうとするから、悪質なのである。まず法外な利子を要求する。まずトイチである。十日で一割の利息。さらに、あえて、返済を遅らせてしまう。そうすることによって、ずるずると相手のカネを吸い上げていくのである。カネを貸しているという関係を出来るだけ引き伸ばしていく、それが、悪質なカネ貸しの手口なのである。
第三の不運は、せっかく、悪質なカネ貸しババアが、殺されても、そこから、脱却できないのである。借用書が残っていれば、疑われるし、疑われれば、修学旅行のカネを紛失したことがバレてしまい、そのことで、解雇されてしまう、そう考えてしまうのだ。借りたカネは、別のこと、たとえば、女遊び、博奕でもいい、いや、あるいは、質の悪い詐欺に引っ掛かって騙し取られてしまった、でもいい、そういうことにして、すみやかに立ち去ればよかったのだ。だが、やはり、借用書自体がない方がいいし、どう考えても、この時点で、持ち出したとして、誰がそのことを気付くだろうか、まあ、普通、そう考えるはずだ。
でも、どこまでも不運な兄貴は、この行為がバレてしまうのだ。いったい、どこの誰が見ていたのだろう。あるいは、借用書の写しがあったのだろうか。あるいは、他の誰かに悪質なカネ貸しババアが話していたのだろうか。不運な兄貴は、このように、どうあっても不運から逃れられないのだ。
bluetokyo

bluetokyo