LEONkei

憎しみのLEONkeiのレビュー・感想・評価

憎しみ(1995年製作の映画)
3.9
幻日に酔いしれているから現実を見失うのか、或いは現実から逃避するから幻日に酔いしれているのか。

美しいものには毒が有り、美しいものは奪いたくなる。
その美しさが幻だと知らずに〝フルール・ド・リス〟に近づけば、不条理に満ち溢れたフランスの偽善国家の生き地獄の沼に潰される。

綺麗事で塗り固められた張りぼての表社会だけを見ていては真実は見えないが、真実に背を向け無関心に振る舞う方が平々凡々と能天気に楽に生きられるだろう。


もしこの世の中に憎しみと言う感情が人間になくなったならきっと素晴らしい世界が訪れるだろう…、なんてお伽噺やお花畑な考えを抱いていたら『猿の惑星』の様に権力者によって、都合良く脳ミソを弄られぷかぷかと流されるがままの単純有機体のクラゲと変わらない。

喜びも悲しみも具有する人間が生きている限り憎しみ感情は永遠に消えることはなく、仮に憎しみと言う感情がなくなったなら其れは人間でなくなる事を意味する。

このクソったれの世界でいっそのこと人間をやめるか、或いはクソったれでも人間のままで生きるのか。

できもしない現実を妄想で謳う〝自由・平等・友愛〟とフランス国家の欺瞞社会の中で、差別や偏見の沼で生きる低階層の人々の行先は堕落への道しか残されていない。

夢を打ち砕かれ希望も未来も遠い彼方に葬り去った異国人の居場所は掃き溜めに埋もれるだけしかない。

だがしかし堕ちると分かっていて堕ちることを只々待っているだけで良いのか…。

坂口安吾の『堕落論』の一節を思い出す、〝人は正しく堕ちる道を、堕ちきることが必要なのだ〟。

人は生きている限り思い通りにならないからこそ生きている。

高慢ちきな国家が表社会へ高らかに〝自由・平等・友愛〟を唱えるほど裏社会では、不自由で不平等で無慈悲な皺寄せは理不尽の仕打ちで憎しみへ変質。

正義も愛もクソ塗れの中の低階層の人間にとっては没入感の極みで生きなければならない…。

其れでも生きる糧があるとするならば湧き出す憎しみ感情こそ生命力の根幹で、例え無意味で破滅的で粗陋な抵抗だとしても人間としての尊厳は保たれる。


〝人は正しく堕ちる道を、堕ちきることが必要なのだ〟..★,
LEONkei

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