てづか

オズの魔法使のてづかのレビュー・感想・評価

オズの魔法使(1939年製作の映画)
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小さい頃に観たような気もするけど全く覚えてない。ただ、東の魔女の赤い靴としましまの靴下だけは物凄く鮮明に覚えていたから、きっと観たことはあるんだと思う。

白黒からカラーになった瞬間の鮮やかさにはどうしても惹かれてしまう。素敵だ。


脳みそがあれば心の痛みが消えるかな、と歌うカカシは学のないひとを表してるけど、はじめから随所で賢く立ち回る様子が描かれてる。

心さえあれば感情を表現できると歌うブリキの木こりは、はじめからカカシを火の手から守ったりするし、魔女にバカにされて怒る心がある

臆病なライオンだって、友達を助けるためには命懸けでやってみる!と奮起した。私には出来なかったことだ。


以前、この3人の仲間たちはマイノリティだと説明してもらったことがある。
でも、マイノリティというより自分自身でマイノリティと思い込んでいる人たちなんだろうなと思う。

本当の本当は、マイノリティなんてどこにもいなくて、そんなふうに分類される筋合いなんかないんだと思う。身体的なものとか、変えようが無いものを抱えている人もいるとは思うけど。
それはそれとして自分にはできないからといって諦めるのではなく、誰か他に能力のある人たちと一緒にやり遂げることで見え方が変わったりすることもあるのかなってことも示唆してる感じがした。

だから、「できない自分」みたいなイメージを作りあげるのは自分自身の心だったりもするのかな、とか。

いつだって面白いものをつまらなくしてしまうのは自分自身だ。
逆に、つまらないものを面白くできるのだって自分自身の努力なんだというのは私ももう流石に分かってる。

「光に向かって進みなさい、心の底から希望を持って扉を開けなさい……」という言葉は観ている私たちへのメッセージなのかなと思った。


思い込みで自分を見限って何もしなければ一生なににもなれないし、元々持っていたものにも気づけないし、最悪腐らせてしまう…

なんにでも言えることだと思った。
難しいことだよな、と思ったけどそれは私が今まで何もしなかった側の人間だからであって。
それは決して難しいことではないんだと思う。
ただ一歩を踏み出せばいいんだろう。


ドロシーは友達を助けるために行動を起こして、理不尽には怒って、困難な道にでも挑戦するガッツがある。他人のために親身になって助けられる人間だから、ほかの3人もついてくる。

ドロシーみたいになりたいなぁ、と切に思う。

最後、オズの中の人が形式的に色んなものをみんなにプレゼントするけど、本当はそんなものに意味はなくて。

大切なものは、ドロシーと仲間たちがお互いに頼りあって助け合った「時間」の中にあるんだと思う。

大切なものは目に見えない。

でも見えないからといって、無いわけじゃない。

今更気づいたけど…大事なものは自分の中に答えがあるんだからドロシーみたいに自分で気づかなきゃいけないんだよね、、、

これを観たからといってすぐ自分が変われるとは思わないけど…観れて良かったとは思う。
てづか

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