ぐるぐるシュルツ

彼女について私が知っている二、三の事柄のぐるぐるシュルツのレビュー・感想・評価

3.8
深夜、一人で椅子に座りながら鑑賞する。
意味のありげな言葉と意味のなさげなカットが続く。
都市と個人の主格を結びつけようという試み。
乾いたパリの郊外の集合住宅には、
あの時代に俄かに訪れた中産階級的平穏が映し出されているよう。コンテクストを共有できない世界だけど、どこか懐かしいような、どこか不気味なような。

途中コーヒーに渦巻く泡と共に急速に独白は進む。

眠たい眼をかすかに開けながら、
安らかで、漠とした、部屋に満ちた暗闇に包まれながら、
思わず書き起こす。

「主題と主題の連結…その移行を可能ならしめるもの。つまり、社会に生き、共に、在らしめるもの。だが社会的関係は常に曖昧だから-私の思考は結合し分裂するから、私の言葉は話すと近づき、沈黙と共に離れるから、私が私を見る主観的確信と他人が私を見る客観的現実の溝が大きいから、無実なのに犯罪者としての自分があるから、すべての出来事が私の生活を動かすから、私は常にコミュニケーション、つまり愛情に失敗しているから、失敗するごとに孤独がいっそう分かるから、そして私を押し潰す客観性から身を引き剥がす事も主観の牢獄から逃れる事もできぬから、自分を存在に高める事も、虚無に突き落とす事もできぬから、耳を傾け、今までになく自分の四囲を見つめるべきだ。世界、我が同胞、我が兄弟。今日の世界、革命は不可能な世界。血生臭い、驚異の戦争の世界。資本主義が自己の市民権を疑い労働者階級が後退している世界。科学のめざましい発達が未来の世界に執拗な存在感を与え未来が現在よりも現存し銀河系に手の届く世界。我が同胞、我が兄弟。どこが出発点か?何の出発点か?神が天地を創造したというのはあまりに単純だ。他の言葉を。言語の境界が世界の境界であり、私の言語の境界が私の世界の境界。話す事で私は世界を限定し、境界を設ける。論理的かつ神秘的な死が境界を廃棄する時、問いもなく、答えもなく、すべては漠とする。しかし偶然、事物が再び鮮明になるとすれば、それは意識のめざめを通してなのだ。そのとき、すべては、つながる。」