456京都公式

ゴーストワールドの456京都公式のレビュー・感想・評価

ゴーストワールド(2001年製作の映画)
5.0
あまりにも身に覚えがある

幼稚園のころから
木造の別校舎に呼び出されて
いろんなテストをさせられてた

迷路を解いたり立方体になる展開図を選んだり
ぐちゃぐちゃに描かれた図を見せられて
なにに見えるかを説明させられたりした

アタクシの何かが
人類の上位0.5%とかなんとかだと判明したらしい

そうして生まれた選民思想のおかげでアタクシは
日常で違和感を見つけたときに
気の合う友だちと目配せをする子どもになった

よく考えたら今だって
マスクをしないで人混みでしゃべってるヒトや
ヘルメットを被らずに自転車に乗ってるヒトを見て
一方的に「アホや」と認定してるもんな

「マクドナルドとナイキ」にしっくりこないのではなく
「マクドナルドとナイキで満足する大半の人間」に馴染めないんだよな

だから本当に笑えない

イーニドは何を着ても似合ってしまうのに
世の中だけにはハマらない
そんなの切なすぎますよ

今から30年以上まえ
「ひとと同じはイヤやけどちごてしまうんもヤバい」という文章が
あるオタク系サブカル雑誌に載っていた
何を隠そうアタクシが書いたんだけど
言ったのは
塾で教えてた中学の後輩にあたる当時15歳の女の子

たぶんこの発言には
自分らしく生きることに対するプライドや努力が
〝他人から見て〟ひとと同じだったり同じになれなかったりという結果に
いちいち打ちひしがれる弱さしかないのだ
それはまさに「みんなの前から消えてしまいたい」っていう
イーニドの言葉にも現れてると思う

でもそれは
「自分らしくない自分になるぐらいなら」
という前提がある話で
ラストシーンでイーニドは
バスに乗って再生されようとしている

しかもバスが来るのは
10代のころに毎日毎日胸を締めつけられた
塾の帰りや部活おわりの時間帯
あの明るい闇
あるいは暗い光が
出口の見えない寂寞の
代表のようなリアルな顔をして迫ってくる夕暮れ

自分らしい生き方を模索することを
もし自分探しと言うのなら
それはもう自分の乗るべきバスを選ぶ(見つける)ことなのよ
いやーな時間に来るバスであっても!なわけ

ノーマンがバスに乗るのを目撃したイーニドは
家と仕事と愛を一度に失った八方塞がりから
回復していくプロセスを見せているわけだから
まちがっても彼女が乗ったバスは絶望には向かっていないよ
そもそもタイトルが『ゴーストワールド』なのだからさ!

リバイバル上映のコピーが
「あの2人が帰ってきた」ってなってるけど
これはイーニドとレベッカの映画というより
イーニドとノーマンの物語だと思う
(もちろんイーニドとシーモアではなく)

レベッカもシーモアも
イーニドが再生するための「八方塞がり」を演出してはいるものの
最初から最後まで再生する彼女に(が)寄り添っていたのはノーマンだから

あと
この時代
日本ではなんとなくオタクも市民権が与えられつつあったけど
たぶんアメリカではまだまだ理解されないキモい存在だったんだろうね
とは言ってもシーモアの場合は
オタクだけどすっごく常識人でめちゃくちゃまとも
でも役割としてはカマキリのオスなんだよね
そしてそれもアタクシは
ちょっと身に覚えがある