村有徳

ゴーストワールドの村有徳のレビュー・感想・評価

ゴーストワールド(2001年製作の映画)
3.9
イーニドのセンスが最高。ファッションもだし、部屋のインテリアの配色もだし、辛辣なユーモアもそう。はみ出し者(アッパー系インキャ)の屈折した自意識とか他者に対する視線とかがリアルに描かれていて、ある時期の自分をみているようでもあった(し、今の自分のことだなあって思う瞬間もあった)。

でも、この作品はそういう共感を生み出す映画、あるいは単にセンスの良いイカした映画という側面だけを有しているわけではないと思う。なぜなら、この映画の主人公であるイーニドは作中で成長する様子を描かれないままバスに乗ってどこかへ行ってしまうからである。

イーニドが他人の車に乗せてもらうシーンは3回くらいあった。でもイーニドが車を運転したシーンは一度もない。彼女はたぶん、免許を持っていないのだろう。でも車を持っている人にはここへ連れて行け、あそこへ連れて行け、ここではないどこかへ連れて行けと言う。
また、引越しにも積極的に取り組まない。部屋探しもレベッカ任せだ。

つまり、イーニドは基本的に、全部他人任せなのである。現状に不満があって、他者に不満があって、社会に不満があっても、愚痴をこぼすだけでそれらと対峙することをしない。
この映画はこのような「はみ出し者」の態度を批判しているといえる。イーニドは最後に自分の非を認めるが、それはもう手遅れで、彼女はもうこの街(=社会)にはいられない。だからバスに乗ってどこか遠くへ行ってしまう。それは彼女に課せられたペナルティなのだと思う。

社会は彼女のような他者を受容しない「はみ出し者」を受容してくれるほど寛容ではない。我々が社会で生きていくためには、他者を受容し、社会と対峙していくしかないのである。それが人間として生きると言うことなのだ。
それができず社会に参加しない「はみ出し者(=ゴースト)」はイーニドのように周りを巻きこんで不幸にし、社会の外側(=ゴーストワールド)へつまみ出されてしまうのだと、この物語は示しているんじゃないでしょうか。

なんかでもこういう、「陰キャ、書を捨て、外へ出よ」みたいな映画って結構ありますよね。いつからあるんでしょうか。私のすきな映画だいたいこのテーマです。いつも肝に銘じながら生きているのですが、本当は「陰キャ、書を読め、家の中でみんなで楽しもう」みたいな物語があったらもっと楽に生きれる気がするんですよね、なんで必ずしも社会と対峙しなきゃいけないんだ、って思ってる自分もどっかにいるんだよな。
村有徳

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