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血と骨のninjiroのレビュー・感想・評価

血と骨(2004年製作の映画)
3.5
暴力についての映画である。

物語の語り手である金正雄、彼の父親金俊平は、
戦前済州航路に就いた君が代丸に乗船し、出稼ぎの為大阪の地を踏んだ。
輝ける将来の幻を大きく胸に吸い込んで、目を輝かせる青年。

この映画は彼のその後から戦後までの足取りを追わない。
何が彼にあったのか。何が彼を変えたのか。
戦後混乱期の大阪朝鮮人長屋、彼は長く捨て置いた妻子の元にふらりと現れる。
我々がその時目の当たりにするのは、全身に暴力のオーラを纏った怪物である。

彼の暴力は、躊躇無く振り下ろされる重い鉈のような直接的暴力。
それはぼそりと短く、しかし鋭く叩きつけられる言葉、
不意に振るわれ不条理に生命を奪うことすら厭わぬ拳、
遠慮無く、有無を言わせぬ野生の本能剥き出しの性。

殴り、蹴り、奪い、犯し、喰らう。
対面する如何なる人をも人として看做さないその姿は、正に人ならぬ獣である。

暴君たる金俊平の周りの人々には、その暴力を上回る構造的暴力が渦巻く。
祖国を失い、行くも戻るも許されず、直接的暴力の災禍にひたすら甘んじる家族たち。
その上に更に暗く重く圧し掛かる、貧困や周囲の不寛容。
いかに繕ってもそこは、
どこまでも続く緩やかな地獄。
そこには誰の救いの手も差し伸べられない。


船の上の乗客たちが向かう先の陸地を指差し「大阪だ!」と叫ぶ。前部甲板の歓喜の集団なか、希望に眼を輝かせる青年・金俊平。
多くの人が既視感を覚えるであろうこのシーン。
言うまでもなくゴッドファーザーPART2、自由の女神を船上で眺める移民の中の少年ビト・コルレオーネ、まさにこの姿に金俊平を重ねているのだろう。

しかし、金の生き様とその暴力はビトのそれと違い、必ずしも誰かを守ることをその動機とするものではない。
金はひたすらに自らの種を撒き散らし、その実を残すことに腐心するのみで、ビトのような人の理性に裏打ちされた愛を彼に見つけることは難しい。

ひたすらに強欲に突き動かされて生きた男。
彼の目的とは何だったのか。
生きる意味とは何だったのか。
その不気味な一生は、結局我々に何も教えてはくれない。


金を演じるビートたけし。
生粋の江戸っ子である彼に大阪弁のセリフは正直かなり無理があるように映る。
しかし、そもそもネイティヴではなく在日一世である金の話す日本語がたまたま大阪弁であったという役柄の背景から考えれば、このたどたどしさも実はリアルな表現としても良いのかも知れない。
それは置いても、ビートたけしの佇まいと暴力の体現は圧倒的で、もはや彼なしではこの映画は成立しない。
それを観るだけでも、価値はある。
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