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明るい瞳のemilyのレビュー・感想・評価

明るい瞳(2005年製作の映画)
3.5
兄夫妻と暮らしているファニー。社会に順応できず、兄夫婦にも奇想天外な行動で迷惑をかけている。ある日兄妻の浮気現場を目撃してしまい、ますます関係が悪化し居心地が悪くなってくる。そのまま家を飛び出るように旅にでる。国境を越えてタイヤのパンクを手伝ってもらった木こりの男と出会い、徐々に人との距離感を取り戻していく。

赤いニット、赤い靴、レトロなインテリア、緑に囲まれた閉鎖的な田舎町で、兄夫婦と同居している。兄は外で毎日腕立てしており、常にちょっかいを出してくる。妻を愛しているが、妹のことが心配で、常に気にかけている。ファニーは思うことを言葉にすることが苦手な女性で、それなのに余計な言葉で毒づいたりする。肝心な兄妻の浮気発覚の時も、何か言いたいが言えず、もやもやとイライラだけが募り、逃げることでしか自分の精神を保つことができない。常に心の声に「黙れ!黙れ!」と自分で言い聞かせ、言葉で表現することを自らが拒んでいる。その分奇想天外な行動に出て、行動でわからせようとするが、人と人とのかかわりにはやはり言葉で一生懸命伝えないと誤解が生まれてしまうことが多いのだ。

兄夫婦とファニーがバーにいて、目線の探り合いがなんとも痛々しい。ファニーは友達の男性と一緒にいて、兄はそれも気になる。3人のそれぞれの不安と不穏に言葉が交わらないため、どんどん関係がこじれていく。ピアノを弾く時間はファニーにとって心を落ち着かせる時間であろう。過保護な兄、父親の事、一つ一つ順追って話せば伝わるが、兄の妹は”病気”という勝手な決めつけが、無意識の内に相手を傷つける発言へ導く。

義姉とも話し合うことなく、暴力に走ってしまう。そこに兄の一言がファニーに大きなダメージを与え、そのまま赤い車で逃亡する。ピアノの音楽が流れ、車のリズムと共に呼吸が整い、個人的に一番好きなシーンの足の不自由な人の仕事を手伝うシーンだ展開される。カラフルなプラスティックの椅子を運んでる彼をファニーは自ら率先して手伝うのだ。ただちょっと不器用なだけで、本当は心優しく素直な女性である。プラスティックの椅子を何個も重ねて運ぶ彼女。白い壁づだいに歩く彼女の左側に、かわいい窓がある。その窓にはハートに切り抜きがしてあるのだ。記念に一つ椅子をもらって、旅を続ける。

何気ない一コマだが、彼女の人となりが見え、そうしてなによりカラフルな色と窓の可愛さ、構図もロマンティックで印象に残るシーンである。

そこからオスカーとの出会いである。彼とは言葉が通じない。彼は英語もわからないようで、はじめは懸命に会話しようとするが、次第に二人の会話には言葉が存在しなくなる。ジェスチャーと視線のみの会話になるのだ。その分一生懸命伝えないといけない。今までで言葉が通じる相手との会話もままならなかった彼女が、何かを伝えるために懸命にジェスチャーする姿が健気である。

穏やかな緑に囲まれたオスカーの家で木こりの手伝いをしたり、外のシャワーで体を洗ったり。澄んだ空気に、緑があふれ、コケも生えている。二人は無言のままでも見つめあい、会話を続けるのだ。言葉がなくても通じ合える。いや言葉がないからこそ、通じ合えるのかもしれない。お互いが空気のように溶け合い、息遣いも歩く歩幅もあってくる。二人が交わるシーンも森の中で男の背中のくぼみの動きだけを見せるセンスの良さにも魅せられる。

色使いや小物使い、赤や黄色など、色彩感覚も美しく、大自然に囲まれた静かに流れる時間が、ファニーの心を整えるように、観客の心にも穏やかな時間を与えてくれる。
人と人との会話がいかに大事かを改めて考えさせられるとともに、言葉の無意味さも感じられる。大事なのは伝えたいという気持ちである。自分を持つのは大事だし、それが周りと同調できないこともあるだろう。でも言葉で、または別の手段で伝えようとする気持ちがあれば、壁は越えられるはずだ。

自分の居場所は必ずあるはずだ。彼女は間違った場所に居ただけ。磁石のようにひかれあう人のそばで、同じリズムと同じ空気感を刻めれば、自然と笑顔があふれ、穏やかな気持ちになれるはずだ。人間関係に疲れた時に、そっと隙間を埋めてくれるような、心のオアシス的な作品だと思う。
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