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八月の鯨のninjiroのレビュー・感想・評価

八月の鯨(1987年製作の映画)
4.6
遮る物のない大海原を渡る風は軽快に広い海面をさざめかせ、永い旅の向こうに陸地を見付けては遂に崖に当たってむせるような潮の匂いを暖かな日の元に初めて晒す。

常に変わらぬ匂いと海岸線に較べ、いずれ朽ちる事が約束された家や人、一足踏み込む毎に軋み立つ木の鳴る音は終わりの刻だけを知らせ、静かにそのままあるばかり。

海辺の小さな家のひと夏、年老いた姉妹であるリビーとセーラの過ごす数日間を切り取った物語。

二人の人生の、そのたった数日間はやはりそれぞれの永い人生の中に埋もれてしまいかねない、ごく平凡でいて取り立てて驚きもなく、緩やかに過ぎるまどろみのような時間。
しかも彼女らも、囲む僅か数人の登場人物にも誰一人特別な人は無く、年老いて尚多く欠点を抱え、それぞれ全く異なる価値観をその人生の中で培った普通の人々。

リビーは永い人生の途上で視力を喪い、生来率直であった性格はより激しさを増し、周囲に自らに残された余生を半ば煩わしくも思っているような振る舞いを見せるが、それも今現在の彼女の大切に想うもの、つまり価値観が、目に見えるもの、そこに在るものに置かれていることに起因する。
小さな思い出、髪の毛一本にしても、彼女にとっては掛け替えのない宝物であり、手に触れられるもの、頬に触れるもの、今自分に許されるごく僅かなものを守り、生きていくことが全てである。

セーラはその生来の天真爛漫さから、今ある瞬間の人生をこそ愛する性分を持つ。彼女にはリビーの頑なさは肉親の情として寄り添う余地はあるものの、本来の自分の為し遂げたい人生とは異なる価値観に大きな違和感を感じている。
彼女は眼に見えないことこそに真実があると信じる。薔薇の花が何本であろうと関係はなく、幾つであろうと赤い薔薇は測られぬ情熱であり、白い薔薇は二つと無い真実である。彼女は眼には見えない何かの為に、両親の遺した小さな海辺の家を改装することを夢見る。

眼には見えるが大切なもの、眼には見えないが大切なもの、それぞれが自分の心の内にあることは分かっていながら、いつか見えなくなってしまうことがある。
同じように、自分にとって大切なものと、他人にとって大切なものとの距離感について、いつかなんとなく考えなくなってしまうことも、気付けばあるものだ。


セーラは思い出が形となって残る海辺の「家」に、リビーはやって来る保証などまるでない「八月の鯨」に、互いにその手を伸ばしてやっと固く握ろうとする。

形ある物も、形を残さないものも、それぞれに素晴らしい価値がある。
夜毎、月光が波間に落とす銀貨のように、形を持たない言葉や想いも同じく価値を持たない宝物。
愛する人が遺した物を愛し、それが他人にとって如何に無価値であろうとただそれを守る為に生きる事も、それは紛う事なき生きる意味であり、大切な宝物に違いない。
何より、それらの異なる価値を誰か信頼し得る他者と互いに認め合い、補い合うことで初めて、独りで抱いていた報われない空虚な想いは「希望」となって眩しく光り輝き、過去と現在、未来を繋ぐ。

これは心やさしき姉妹、そして未完成な私たちの物語である。
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