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アスパラガス/スーザン・ピット ドールハウスの魔法のzatのレビュー・感想・評価

4.0
強迫的に「動き続ける」ということ。
手書きアニメーションにおいては、震え、痙攣することが、存在し、生きているということである。アニメーションの自由とラジカリティみたいなものを強烈に感じた。

1
アスパラガスが、冒頭では糞便、ラストシーンでは男根として描かれる。
少女が仮面をつけて街へ出る。ショーウィンドウを彩るのはセックスと暴力。
劇場に入る。客席はコマ撮りの粘土の観客たちで賑わう。舞台では、巨大な書き割りに描かれた、強迫的な奥行きのイリュージョン。少女はこっそり舞台の裏側に潜り込む。持参したボストンバッグから摩訶不思議な生き物や物体を舞台上に放つと、客席の上空にも自由に飛び回り、粘土の観客たちを騒然とさせる。

2
敢えて実写の人物をストップモーションにすることの意味についてずっと考える。コマ落ちさせることによって、却ってただ動き、震え、行き交うことを強調している?
目の開かない結合双生児。電飾の光と金属質の反射光。仮面のような化粧。妊娠、出産、乳母車、髪も手足首もない女の授乳。テントのようなドレス。サーカス的なアングラモチーフがとにかく盛りだくさん。書き割り、プロセニウムと画面の平面性。スクリーンを平行移動する車窓からの眺め。

3
疲弊しきってリストカットした女性が、自室のベッドに倒れ込んでいる。
日が暮れると、ミッキーのような灰皿のキャラクターは命を吹き込まれるようにバルーンのように膨らんで、部屋の中を自由に
歩き回る。ぐったりした部屋の主に気づいた偽ミッキーは、彼女を傷を治そうと四苦八苦。ディズニーや初期アニメを参照しつつもとにかく奇想天外な映像の連続。アニメーションって本当に自由だ。物や動物だけでなく、人体のパーツすら擬人化される。こうしたシーンは全て、女性の幻覚なのかもしれない。(唐突なジャングルシーンは、作者の南国滞在からインスパイアされてるらしい。)
ラストシーン、女性は偽ミッキーに救済されて回復する。部屋の窓を開け放ち、身を乗り出して風に髪をなびかせる。
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