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水俣曼荼羅のzatのレビュー・感想・評価

水俣曼荼羅(2020年製作の映画)
4.5
大抵予告編で10分は押すだろうと余裕ぶっこいたところまさかの定刻開始で冒頭1分ほど見損ねるという遠征組にあるまじき失態…6時間に対する1分をまあまあ引きずってしまい大反省…。

曼荼羅図というものはそもそもどこから見るとか関係ないし全体を見尽くすというのは不可能なわけで…云々と自分を説得しつつの2時間×3本勝負。

タブーなし、というのは結局、対象と偏見なくフラットに向き合うということで、重度の障害を負っている患者達をどう見つめれば良いかという若干の戸惑いは、映画が終わるまでの間に徐々に薄まっていった。

当事者達の生きてきたこれまでの壮絶さは計り知れないけれど、患者達の恋愛とか性愛をここまで掘り下げるというのはさすが。センチメンタルジャーニーのために「昔の男たち」を次々カメラの前に引きずり出してくるシークエンスは今回一番原が撮影対象に直接働きかけていた部分かもしれない。

ホッとして泥酔しちゃった先生の失言(ではないんだけど…)のシーン。こういうのをしっかりつかまえる感じ。これだから信用できると思える。現実とのヒリヒリするような摩擦にこそ生きることの実感がある。

それと対極的な、役人達の言葉の上滑り感、熱のこもらなさ。組織システム上できることに限りがあったとしても、もう少し危機管理として傾向と対策を練ってから臨んではと素朴に思ってしまったが。担当者だって当事者世代じゃない今、補償によって完全に償い切ることはできないとしても、せめてブラックツーリズムじゃないが負の歴史として残し伝えていくことで向き合うとか、そういう路線変更はできないものだろうか?

「悶え神」というタームを初めて知った。現代にはずば抜けたヒーローはいないかもしれないが、当事者を上回るほどの熱量を帯びた総体としての悶え神の叫び。溝口裁判のお付きのお姉さんの傍聴席からの昇進ぶりがすごい。他者の痛みをどう引き受けるのか?というのは水俣病に限らない難問。
(ただ、これは完全に余計な話だけど……“怨”なテンションだけ引っ提げて乗り込んでくるカスハラ的な顧客対応の経験がある身としては、一瞬役人側目線になってフラッシュバックしてしまったのも事実…私が土下座したとして、あなたのどういう欲が満たされ何が解決するのだろうか、という…)

タッパーに入れて電車で運んだり、出刃包丁でスライスしたり、水俣病の病理の核である「脳」の物質性がやたらと強調される。新説を説く希望の星的な先生が、絶やさぬ微笑も相まってマッドサイエンティストか何かに見えてくる。その一方で、故人が化けて出てきて解剖がふいになったり、当事者が天皇との面会で先祖と対話したかのような感覚になったり、理屈では説明できない、異界への境目をふと越えるような瞬間もカメラは逃さない。

何よりも驚いたのは、認定基準以前に「水俣病」というものの実態が未だ医学的にも明らかとは言えないらしいということ。症例は必ずしもステロタイプ的なイメージとは限らず、相当に多様であって、発症のメカニズムは長らく誤解されており、研究が進むかには大いに政治が絡むということ。

監督があるインタビューで、現地の人々と患者との関係性を描けなかったのを悔いているとしきりに語っていた。確かにその辺りはあまり見えてこなかったけど、そんな簡単じゃないから当然だ。6時間あっても描ききれないもの。それでもはっきりと見えてきてしまうもの。
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