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アギーレ/神の怒りのいののレビュー・感想・評価

アギーレ/神の怒り(1972年製作の映画)
4.1
時期:1560年代
場所:中南米


インカ帝国を滅ぼしたのち、スペインから派遣された一行のうちの分遣隊がアマゾン川を下っていく


「アギーレ」は登場人物の名前だった。クラウス・キンスキーが演じている。今作は、史実通りではないようだけれども、アギーレは実在する人物だった。自身を「神の怒り、自由の王子」と称していたとのこと。


地獄の黙示録では川を上っていくけれど、今作は川を下っていく。地獄の黙示録では、カーツ大佐の王国に、川から上陸してたどり着くけれど、今作では上陸できない。少しだけ接岸できてたとしても、食人族がいるかもしれない等の理由で、結局上陸できない。王国は幻なのだろう。川も下っているのか、ひょっとしたらぐるぐるしているだけなのかもしれない。


本当に凄い撮影であることは冒頭からわかる。当時の撮影事情なども全然わかってないけれど、もしも何人か命を落としていたり何人も川で溺れていたとしても、そうだろうなと思ってしまうような。


ちょうど今よんでいる本のなかに次のような文があった
ー 人々が独裁者を怖れるのは、彼が「権力をもっているから」ではありません。そうではなく、「権力をどのような基準で行使するのか予測できないから」なのです。法臣たちのうち誰が次に寵を失って死刑になるか、それが誰にも予測できないときに権力者は真に畏怖されます。 ー(*)


副官だったアギーレが下剋上していく。アギーレと行動を共にせざるをえない人たちは、まさに上記のような心理状況に陥り、誰もが無言にならざるを得ない。そして妄想を伴いながらアギーレの暴走は留まることを知らない。でもどんどん人が減っていくから結局はー


アギーレ個人の狂気と、現地の人々を蹂躙していく大国の奢りと狂気とが一体となって、圧倒的な映像でこちらに迫ってくるという凄い映画だった。


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なんの気なしに観てしまったけど、どえりゃあところへ向かう扉を開けてしまったのかもしれない。ここからヴェルナー・ヘルツォーク監督作品を観ていくにしろ、クラウス・キンスキー出演作品を観ていくにしろ、スペインの中南米征服の史実を学んでいくにしろ、深掘りするとヤバいことになる。ということは、アタシにも予感としてありありとわかる。今はちょっとそこに向かう気力も体力もないので、彼等に見つからないように、息を殺してそーっと扉を閉めたいと思います。頑張れる時に、またこの扉を自分の力で開きたいけど、それはまたいつかの話



メモ
*『寝ながら学べる構造主義』p192 内田樹(文春新書)
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