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さらば、わが愛 覇王別姫のSPNminacoのレビュー・感想・評価

さらば、わが愛 覇王別姫(1993年製作の映画)
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中国近代史を背景に、哀しき運命を辿る京劇役者の大河メロドラマ。蝶衣と小楼の愛の悲劇が「覇王別姫」の物語、その役覇王と虞姫に重ねられる。今頃やっと観て、予想以上にドロドロ濃厚でどんよりしてしまった。
華やかな虚構の外にある現実のグロテスクさを、これでもかと見せつけてくるのがすごい。一座に預けられた子どもたちが受ける虐待、性的搾取。更に、激しく入れ替わる体制によって舞台も役者も常に脅かされ続ける。権力のあらゆる恐怖支配は繋がっている。
そんな汚れて荒んだ世界で蝶衣は素顔より仮面を選び、人生より舞台を選ぶ。演技は偽りではなく、愛も涙も本物。小楼を奪わんとする菊仙に舞台装束のまま挑み、愛人として囲ったパトロンは覇王の舞台化粧でしか蝶衣に受け入れられない。一方、石頭で煉瓦を割るように生身で現実とぶつかる小楼は、それ故に演じることを強いられる。
2人の間で愛と憎しみを背負った菊仙は、蝶衣にとって自分であり、母親なんだろうな。蝶衣と対峙する2つの場面は鏡合わせ。演じなくても女として愛される、けれども多くを奪い、すべて失う。小楼もまた、2人の妻を失う。手にした刀は運命を切り捨てようとして、また鞘に収まるしかない。蝶衣は虚構に、小楼は現実に取り残される。
廃人同様に芝居を生きる蝶衣には死の影がちらつき、大観衆に喝采を浴びた京劇も時代と共に客層が変わり、やがては滅びゆく運命。だが何度引き裂かれて袂を分かつとも、運命は2人を離さない。愛がお互いを救い、裏切り、打ち棄て、燃え尽きるまで。映画は観客不在の虚構なき2人芝居で幕を開け、そして閉じる。
モノトーンの中に浮かび上がる朱色。鞭で打たれるたび赤みが増し色づいていく画面。サンザシ、紅、朱肉、金魚、血、炎、死装束、そして革命の赤い旗。悲劇を象徴する赤は虚構も現実も侵食し、芸能と政治はちっとも無関係じゃない、とずっしり痛切に刻まれる。ただでさえ芸の人や役者には世に蔑まれ、都合よく政治権力に利用されるアウトサイダーの悲哀がある。菊仙も小四も座長もブルジョワ階級の袁先生も座員たちも、どちら側に立とうがみんな無力だ。
また、切り落とした指、間違える台詞、クィアな描写が当時の映画にしては驚くほどダイレクトな比喩表現。小豆時代の子役も強烈な印象だったけど、レスリー・チャンの身のこなしや視線で魅せる妖艶な美と気品と残酷さが凄まじく、本人と重なる悲劇がとても痛ましい。でもって、チャン・フォンイーの堂々とダイナミックな説得力よ。あの雄弁な笑みには抗えないものがあった。
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