頭のてっぺんからつま先まで尖っている、バンドメンバーたち。というか一族。彼らはアメリカでのデビューを指示され、右も左もわからないままやって来てアメリカを横断することになる。
実際のバンドを主役に持ってきた、カウリスマキの映画愛のみならず音楽愛を感じられる作品である。
相変わらずカウリスマキの人物は不景気な状況に陥ってしまう。
それでも彼らはあまり大きく表情を変えることはなく、淡々と災難にも対応するし、彼らの基本的なスタンスが崩れることはない。
ニューヨークの路上で、ボスのウラジミールがメンバーそれぞれにお金を渡してると、後ろで黒人の男たちも手を伸ばしているのが笑える。
そして皆そのお金でバーに直行してお酒を飲んでいるのがもっと笑える。
レニングラードカウボーイズは、実際にロシア音楽に影響を受けているというが、アメリカに降り立った彼らは、この国の音楽であるというロックンロールを学ぶようにボスから言われると、それを巧みに取り入れて新たな彼ららしさを発見することになる。お金がなかったりアクシデントで楽器がなくても、音楽を生み出すまで至る。
例えばニューオリンズではジャズっぽさを出したり、その土地らしさに合わせた曲を披露するのだ。
組織内のゴタゴタがあったり、事故があったりしても、彼らはポーカーフェイスのまま。
つまりはいつものカウリスマキ作品のように、世の中の理不尽(いきすぎた資本主義による搾取)や飢えや貧乏といった絶望に、彼らは能天気さで付き合っていくのだ。
相変わらずのカウリスマキスタイルは貫かれつつ、シュールなロードムービーに仕上がっており、人物たちの本当の意味での楽観さがこの作品ではさらに浮き彫りになっているように感じた。