きょんちゃみ

ポエティック・ジャスティス/愛するということのきょんちゃみのレビュー・感想・評価

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人は言語を使って考える。言語を麻痺させると人はいつも通りに考えられなくなる。では、使っているうちに言語が麻痺してくるような言語とはなにか。詩的言語である。では、詩的言語とはなにか。言葉の喩的使用、すなわち、メタファー(隠喩)とメトニミー(換喩)である。では、メタファーはどのようにして言語(ロゴス)を麻痺させるのか。ロゴスとは、典型的には三段論法であり、メタファーは三段論法によく似ているが三段論法だと思い込まれると誤作動を起こす。

たとえば、
①「少女の瞳は澄んでいる。ところで湖は澄んでいる。ゆえに少女の瞳は湖だ。」(詩的言語)
②「聖母マリアは処女だ。ところで私は処女だ。ゆえに私は聖母マリアだ。」(誇大妄想の症例)
③「酒は悪いものだ。ところで酒は良いものだ。ゆえに良いは悪いだ。」(『マクベス』の冒頭)

①②③は、三段論法の形式によく似ている。三段の論法ではあるからだ。三段論法に似たものとして入り込んできて三段論法がつくる言語秩序を内部から破壊するウイルスこそ、メタファーなのであると思う。いつでも正しい三段論法に、とてもよく似ているから、正常なものとして見過ごされてしまうのである。こうやって普段は結びつくはずのない概念同士を当然のごとく結びつけていく術を詩人は知っている。言葉は良かれ悪しかれ人の考えを変えられる。
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