このレビューはネタバレを含みます
【現代アートハウス入門 ドキュメンタリーの誘惑】人類考古学者でシネマ・ヴェリテのパイオニア、ジャン・ルーシュの代表作。
虚構から現実が生み出されるメタフィクショナルな破格の映画で、半ばドキュメンタリーの即興的手法を用いつつ、作為的な「サイコドラマ」を素人の高校生たちに実験的に演じさせる。
白人のナディーヌは、フランスからアビジャンの高等学校の最終学年に転入する。地元では例え同じクラスであっても黒人生徒と白人生徒が交際することは考えられなかったが、無頓着なナディーヌは誰とでも分け隔てなく接し、そのため彼女が自分に恋愛感情を持っていると勘違いする男子生徒もおり、しきたりにとらわれないナディーヌの出現で新たな人間関係を創造し、こじれさせ思わぬ結末を生んでいく…。
宗教国フランスから独立しつつあるコート・ジヴォアールのアビジャンにおける高等教育を受けている特権的な黒人生徒と白人生徒の人種を超えた友情の可能性である。
当時の人種差別への問題提議、見せかけの図式的な心理劇を超え、かけがえのない青春の一瞬を鮮烈に記録している。
当時、開発されたばかりの軽量機材が使用され、一部は同時録音がされているそうだが、2人の対話場面でモノローグが(同時録音かアフレコなのか区別が難しいが)印象的に使われている。同時録音といえばヌーヴェル・ヴァーグだが、ゴダールとロメールが絶賛したという触れ込みから絶対観たいと思っていた。
相手の長所を知ることは社交。相手の欠点を知ることは愛。肌の色など関係ないと、男女4人が並んで歩くラストショット、ロメールの『友だちの恋人』の瑞々しい(青と緑のクロスコーデ)ラストを想起した。なんと美しいのだろう。
演者は、ルーシュの指示に沿って演じているのだろうが、虚構から生み出される現実に生きている若者にしか見えない。映画を見ながら、映画内のフィクションと現実の境界について考え続ける時間であった。映画の本質はドキュメンタリーに在り、入念に作り込まれたドラマであっても、カメラにおさめた奇跡的な瞬間の全ては目の前に起きている現実であり、カメラ一つで、映画の、ドキュメンタリーの可能性を切り開いたルーシュは改めて偉大な存在だと気付かされる。
本作の終盤、海で船に乗る生徒たちの1人が高波に飲み込まれるシーンが挿入されしばし目が離せなくなった。自然の力をも借りた映像のダイナミズムとその後のハッタリの効かせ方にドキリとさせられる。ルーシュは巧い。
同年制作の次作、シネマヴェリテの金字塔作品『ある夏の記録』と同様、カメラが現実を変容していくドキュメンタリーの本質を突いた傑作であった。
同じくモノクロ映画だと思っていたので、16ミリフィルムのカラー映像の瑞々しさに感激した。
2022/11/24 名古屋シネマテーク