乙郎さん

稲妻の乙郎さんのネタバレレビュー・内容・結末

稲妻(1952年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

観る前から名作だろうなとは思っていたけれども、それを遥かに超えてオールタイムベストに食い込むレベルだった。またある程度家族の諍いというものを経験して来た人間にとっては染みるものもあり。
この映画はバスガイドとして働く清子(高峰秀子)の声から始まる。一瞬ナレーション?とも思わなくはないが、この映画は心の声を語るような無粋なまねはしない。ただ、この冒頭は彼女の目線が観客に同化するためのスムーズさを果たす役割の一端を担う。
清子はよく障子や襖の敷居に立っている。敷居に立つと出世が出来ないという迷信があるが、それはひょっとするとどっちつかずにいる未熟者であることを示しているのかもしれない。言わば清子は心理学でいう「マージナルマン」であり、諍いを映すカメラとして観客と同化する。
もうひとつ感じたのは、とにかく画面が窮屈で圧迫される感じがするということ。こう書くと貶しているように思われるかもしれないが、テーマに則しているのは事実。人物配置が柱と柱の間だったり、襖を背にしていたりで、その人物がさらに小さい画面に閉じ込められている印象を受ける。
その配置が最も活きるのが、劇中2回出てくる清子と母(浦辺粂子)との口論の場面。清子の背景がある程度拓けているのに対し、母は閉じ込められている印象を受ける。そして2回目の口論が終わった後、母がその背景の枠から少しだけ出ている。この演出がとてもいい。
ラストははっきり言って「ここで終わり?」と思った。映画自体のランタイムも87分と短く、おそらく普通の映画ならあと30分は続く。色々な問題が解決していないし。けれども、これまで散々路地のせまさを見せつけられたから、少しだけ広く見える道を歩く姿が感動的に思える。
名作と言われるのも納得であり、額から出しても自分の実体験にシンクロするような場面もあるようなないような、そういった効用的な側面から見ても良い映画だと思いました。成瀬巳喜男はもっと見ていきたい。(了)
乙郎さん

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