稲妻の作品情報・感想・評価

「稲妻」に投稿された感想・評価

画面の奥へ進むバスから始まり、ひたすら奥行きを感じさせる動きの連続。
雨が降ることで距離の変化が起こる演出の上品さに酔いしれる。
親子の相入れなさを受け入れる(っていうか諦める…?)ことを閃かせる装置のように落とされる稲妻に感動。家族という因縁から逃れられないことを嘆くのではなく、折り合いをつけることで妙な清々しさが生まれるラストは他の成瀬映画でも見た気がする
ジョウ

ジョウの感想・評価

4.2
実に人間的な作品で僕の好みの映画でした。

しかし1つ浮かんだ疑問は、もしこの兄妹が1人の父親の元に生まれた子供達だったらどうだっただろうかということ。
作中では「父親が全員違う」ということが兄妹間に生じる亀裂の大きな要因として描かれているが、もし異父兄妹でなかったとしたらどうなっていただろう。
成瀬作品の中でも随一の悲壮感を持った、それでいてすごく不思議な作品。明らかにブツ切りしたかのようなラストは、なぜだか本作では活きている。これは研究しがいがありそうな作品だ。
4年ぶりに再度鑑賞。
やはり名作。ラストの親子喧嘩から最後までのあの名シーンは、実に秀逸で、やはり魅力的だ。
娘と母親がこれまでの人生を吐露して激しく泣いた後、暗くなり、電気を点ける。…それから、部屋の窓から遠くに見える『稲妻』が、気持ちに変化を与え、本来の親子に戻っていく。ピアノのメロディーも相まって文学的で神々しく美しい。
女性が男性に頼らなければ生きてこれなかった母親や姉達。そしてそこから自立して抜け出そうとしている主人公・清子。
女性の自立。
結局私はなれなかったけれど、せめて強い女性になりたい!
鳥肌が立った。リアリティありすぎでしょ。よくもまぁこんなにも現実的で精巧な人間描写ができるなと心底驚いた。昔の巨匠と呼ばれる映画監督達はやはりちょっと次元が違う。悟っている。達観している。華やかに外見を飾らずとも、中身(真理)にしっかりと根が張られている。それも凄く奥深く。自然体。人間というものが。現実というものが。なんとも言えないもどかしさだったり、時にはスッキリとした晴れやかさがだったりと、一言では言い表せない複雑さがしっかりと描かれている。生きるということ、生を実らせるということ。稲妻(広辞苑の一文によると、「稲の夫(つま)」の意。稲の結実期に多いところから、これによって稲が実るとされた)の重要性。激しい稲妻に耐えると必然的に訪れる、実りある穏やかな季節(夜道)。あるがまま。自然と泣けた。素晴らしい内容に、素晴らしいタイトル。完璧。高峰秀子演じる清子が終始可愛すぎるし美しすぎる。浦辺粂子演じる母親のキャラクターもめっちゃくちゃ可愛らしいw オマケに音楽が耳から離れない。

このレビューはネタバレを含みます

雲の中を轟く雷鳴のおはなし。


関係という関係に身を縛られ、口を開けば現金な事ばかりの、全く醜い一家族。
彼らの情けなくてどう仕様もない姿には、末娘の清子(高峰秀子)同様、辟易してしまった。

しかしながら、やっぱり蛙の子は蛙なのだろう。
和装だろうが洋装だろうが関係なく、良くも悪くも、親子は親子なのだ。

そうして彼女たちの物語は、なんとも優しい締まり方で終わったが、しかし清子が見上げた天を貫いた"稲妻"はどうも気がかりである。
あれは単に、立ち込める暗雲を切り裂く、希望の兆しであったのだろうか。それとも、その後の彼女らを待ち受ける、凄惨な衝撃の予感であったのだろうか。
僕には、なんだか後者のように思えてならない。
当然のように金蔓へと視線が集まる。小道具よりも高峰秀子の所作重視。家出してから、特にラストが滅法良い。雷鳴を捨て、口金を拾い、距離が縮まる。
稲妻が走り、親娘が涙ながら会話する場面。母親を思い出した。最後に連絡くれたとき泣いてたな。元気かな。こんな会話してたな。でもこうして最後には笑いあって。切り替えてかないとな。固執することに意味はない。

このレビューはネタバレを含みます

銃弾が乱れ飛ばないゴッドファーザー。つまりファミリーアフェイアである。登場人物は誰も彼もピタッと収まり文句のつけようがない。叙情性が溢れかえっているのに、どうしてこんなにも湿度が低いのだろうか。ほとんど奇跡。

絵に描いたようなろくでもない兄妹関係のなかで、ひとり自分を持って生きる清子。
だが清子はものがたりの主人公というより、この醜い人間関係をみすえるカメラの「眼」の役割をになっている。
だからこそその「眼」が夕立の稲妻のように突如として吐く本音が、観るものの共感を呼ぶ。

なんとも鬱々とした話だが、雨上がりのラストシーンに、ジョン・フォード的な希望あるヒューマニズムさえ感じさせる秀作。
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