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ジャンクフードのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

ジャンクフード(1998年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

 緊急事態宣言が出て、また映画観れなくなるかもと焦って映画館に駆け込んだが、上映時間ミスって冒頭10分以上見逃した今作品。勿体無いし悔しい・・・。にしても、平成ってダサくて人間味まだある時代だったなぁと実感。ただ、同監督の「闇のカーニバル」のアウトローの残滓たちの行く末感が強く、変な悲哀を感じた。あと相変わらず国際色豊か。

 他のレビューから察するに、見逃した1部は盲目のおばさんの話、2部からは何とか見れたが、登場人物のエピソードの羅列だ。冒頭見逃していたので、彼らの経緯が冒頭にぎっしり詰まっていたんじゃないかと後悔しまくっていたが、そうではないようでよかった笑。結局、どの観客も彼らの人生に途中入場していたにすぎないのだった。また、アルトマン好きな監督だから、群像劇であろうことも途中から察せられた笑。やや強引に登場人物を引き寄せた感は否めないが。

 相変わらずの倫理終わった人々を描き、しかしどこか憎しみまでは抱けない人間味を抱えた人物たち。監督は、街に出ては不良たちに声をかけて映画に出てもらったといい、自分を人さらいだと言っていた笑。そのピックアップは流石で、本当に放火殺人した人がいたりする。そして、アウトローに生きていたからこその生の演技を、リョウを演じる鬼丸が見せつけている。彼の風貌しかり飄々とした態度しかり、かっこよすぎ。

 ただ、「闇のカーニバル」がモノクロで夢のような想像に近いことをどこか印象付けていたのに対して、今作品は割合い現実と地続きである。「闇〜」もドキュメンタリータッチではあったが、肝心なモノクロシーンは虚実ない交ぜである。今作品は、夢や想像という揺らぎがなく、本当にアウトローの姿を描いてるように見える。ただ、どこかリアリティが無いというか、「闇〜」と同じで、自覚はないものの、想像された物事のみで成り立っているような気がする。どのアウトローも、どこか既視感があるのだ。

 それもそのはずというか、まさにジャンクたる所以というか、かなり他のアウトロー映画からの影響を感じるのだ。OLの飯島みゆきのトイレでのヤクのシーンは、「トレインスポッティング」(1996)ぽいし、二重人格のプッシャー古田新太は、「ブルーベルベット」(1986)のデニス・ホッパーに近い。義幸が話すファストフード店でのバニラコークの注文は、「パルプ・フィクション」(1994)ぽい。また、カウルが発砲するシーンのあるカットは「グッド・フェローズ」(1990)ぽい。あとは津田寛治の車の中でバチギレするギャング役も、ジョジョ5部のギアッチョぽい(「ヴェネツィア上陸作戦の巻」1997年発売)。そもそもジョジョ自体が映画の流れを汲んでいるから、ジョジョに似るはイコールその源流にも似るわけである。1990年代は、影響元になった映画群からも窺えるように、ギャングやアウトローの映画が多い。それは社会へのアンチテーゼというよりはむしろ、あるファッションとしてのアウトローに近い。今作品は、そうしたジャンクなアウトロー臭がして、混沌や悪を感じなかった。だから、「闇〜」で描かれた牛乳と血の混ざり合いの再現は、少し薄っぺらい。もちろん、ジャンクならではの味わいは絶品で、逆に日本にこれらを描くポテンシャルがあったことが驚き。フランクに、あーやって生きれたらなぁと思わせてくるのだ。

 また、鬼丸の子分が「俺たちいつまでこんなことやってるんですかね」みたいに言うのも、北野武の「キッズ・リターン」(1996)味を感じた。ただ、これは影響もあるかもしれないが、それ以前にこの時代の白け感を両監督が鋭く捉えたことが受け取れる。鬼丸のあのカメラに向かって力強く素振りするカットの、あの力強さと、その力のどこへともいえない空虚な素振り。そう、打つべき球などとうに無かったのだ。盲目のお婆さんは、あらぬ方向に向かって「牛乳を頂戴」と言う。冒頭と締めはこの盲人によって締めくくられる、その意味とは。見えないが、牛乳を求めるぐらいは可能な世界。先は見えないアウトローたちが、生きるぐらいは可能な世界の象徴なのかもしれない(その後たけしが同じく盲目である「座頭市」を撮ったのは偶然なのか?)。「どうにかなんとかなるだろう」という町田康の歌うフレーズの力強さは、かまやつひろしの「どうにかなるさ」みたいな明るさも兼ね備えた曲だ。そんなこんなで映画は終わるのだった。いつか全編しっかり見ます。

 追記、盲目のお婆さんは山本監督の実の母だったという!母が盲目だからこそ、監督はカメラという"目"に執着したのではないだろうか。
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