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愛の島ゴトーのshibamikeのレビュー・感想・評価

愛の島ゴトー(1968年製作の映画)
3.5
新文芸坐シネマテークにて。

架空の島であるゴトー島にて、島で一番偉い独裁者の美しい妻を求めて、悪い泥棒が悪事を働くという話。後藤さんは関係ない映画だった。

普通に面白かったので良かったのであるが、それにも増して上映後の大寺さんの講義に感銘を受けた。

「壁」が多く登場することや、登場人物の名前の頭文字が全員「G」であることなど(誰でも替えがきくという意味らしい)、興味深く聞いていたら「双眼鏡」の話が自分の胸に突き刺さった。

映画の中で小道具として双眼鏡がよく登場する。双眼鏡がどういうものかというと、遠くにあるものを近くにあるもののごとく観ることのできる便利なものなのである(知っとるわボケ!)。

映画の中で、双眼鏡を覗きこんで様々な対象を観た人達は欲望を掻き立てられるのに、「観ることしか」できない道具のため、欲望をどうすることもできない。
独裁者の妻は双眼鏡で島の外を観て「自由への憧れ」を刺激されたり、独裁者は妻の不倫現場を双眼鏡で目撃して「嫉妬」に狂ったりする。
しかし、双眼鏡で観る対象は遠くにあるため、永遠に手が届かない。この映画では、そういう観るものと観られるものの関係についても描かれている。と大寺さんが話した上で、
「観る観られるというのはまさしく映画と観客の関係とも言えます。そもそも映画というのは覗き見の芸術です。」
と言ったのを聞いて、自分は目がぱちくりとした。
劇場で観た映画にどれだけ感動感激しても自分は絶対、永遠にその作品の世界に入り込むことはできない。その世界をスクリーン越しに覗き見しているだけなのだった。

これは映画に限らず、CDや本やライブもみんなそういう風に言えてしまうと思った。CDはミュージシャンの演奏を盗み聞き。本は作家の作文を盗み読み。ライブはバンドの演奏を覗き見。という風に思えなくもない気がして、何だかちょっぴり寂しさと虚しさと部屋とワイシャツと私と愛しさと切なさと心強さとな気分になった。

帰り、劇場を飛び出し寒さが身に染みる中、池袋警察署へ出頭し「たくさん覗き見してしまいました…」と自首したら親切な刑事さんから「もう覗いちゃいけないよ。」と優しく諭されながらカツ丼おごってもらって家に帰った。

大寺さんは今日も講義中に一口も水に口をつけなかった。

柴三毛 心の一句
「これからは "趣味は覗き見" と言います 」
(季語:覗き見→植草教授→早稲田→稲→秋)
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