このレビューはネタバレを含みます
孤独なオールドミスがヴェニスでひとときの恋に落ちるなんて本当に面白いのか、などと思っていたが、いざ観てみるとなかなか面白かった。
ヴェニスに着いてしばらくのキャサリン・ヘプバーンは実にコミカルで、心の底から本当に楽しそうである。
しかし、途中からは今まで目を背けてきた自らの孤独に向き合わねばならなくなり、そこからの彼女はもう、本当に憐れで、見ているこちらがいたたまれなくなる。彼女の孤独感を引き立てるのが、同じ宿に泊まる若い芸術家のカップルと、いかにもアングロサクソン系の、醜いまでにカリカチュアライズされた、品のないアメリカのド田舎者の夫婦なのだが、特に後者の描写が鋭すぎる(こういうところに英国人・デヴィッド・リーンのアメリカディスりが垣間見られる)。
しかし、サン・マルコ広場で二度に渡ってロッサノ・ブラッツィと遭遇してから、ヘプバーンはシワシワのオールドミスからみるみるうちに若返り、可愛らしくなってゆく。失われた数十年はかくも重いものだったか。
特に、サン・マルコ広場のカフェでヘプバーンが佇んでいると、突然キャメラがゆっくりと後退して引き絵になり、背景からブラッツィが現れる二度目の場面は、なかなかに見応えがある。
彼女が前半、あれほどしつこく回していたキャメラを、後半になって全く手にしなくなるのも面白い。
また、夜のバルコニーで花火が打ち上がるのを前に二人がキスをし始め、靴が片方落ちてしまう場面のモンタージュが実に爽快である。花火のちぎれゆく形態と二人の激しい愛が交互に映し出され、それはもう、とてつもないのだ。
後半のやや雑な物語の運び方は気になったが、いつの時代の映画でも、駅のホームでの別離というのは美しく、切ないものだということを、この映画は改めて教えてくれた。
そして何より、合間合間に現れる小僧っ子の存在も、忘れてはいけないネ。