旅情の作品情報・感想・評価

「旅情」に投稿された感想・評価

粉雪

粉雪の感想・評価

3.0
母が好きだった映画。勧められて観たけど、当時10代だった私にはちっともハマらず。今見たら、また違うのかな。キャサリン ヘップバーンは好きな女優さんなので。
パッケージから、メロドラマかなと思っていたら、流石、キャサリン・ヘプバーン。
楽しく過ごしている一人旅なのに、どこか寂しさも募る。恋愛以外の感情の機微を、半分以上の時間をかけて、じっくりと表現しているところが流石。

ヴェネチアの風景が多くて、本当に旅行気分になれるのも良かったです。 ヴェネチアビエンナーレの開催時期という設定でしたが、それはあまり感じられませんでした。

地元の少年との他愛ないやり取りが、すごく好きでした。
水に落ちちゃうのも、彼女が演じると何故こんなにも魅力的になるんだろう。
ヘッドライトに続いて 1955年のメロドラマを観てしまった。キャサリン・ヘップバーンのソバカスだらけの肌が気になった。白人女性って年取るとあんな風になるんですね。旅先での一時のアバンチュールと言う形で終わっていて後々引きずらない展開で良かった。
ろ

ろの感想・評価

4.8

「奇跡を望んでいるなら、そのための行動も必要よ」

泣いちゃうよ、こんなの。
キャサリンヘプバーン演じるジェーンが悲しそうな顔をするたびに、ウワッと感情が溢れてしまいました。

どこを見渡しても写真を撮りたくなるほど素敵な街ヴェネチア。
同じ宿の観光客は夫婦ばかり、女一人のジェーンは少し取り残されたような寂しさを抱く。風景を写真に収めても、お酒を飲んでも、目につくのはカップルばかり。
そんなとき、出会ったのは…。

街の広場のカフェ。
のんびりしていると、向こうから顔見知りの夫婦が来るのが見える。
ジェーンは頼んだコーヒーを隣に置き、椅子を立てかけて、いかにも誰かを待ってます風を装うの。
夫婦は気付かず通り過ぎる。
ふーっと力が抜けたところに、後ろから気になる男性が現れる。
だけど彼は、ジェーンが誰かと待ち合わせをしているって勘違いして行っちゃうの。
呼び止めることもできず、今にも泣きだしそうな顔で彼の後姿を見送るジェーン。
カメラがすっと引いて映すもんだから、余計に切なさがこみ上げてきます。


クチナシの花言葉は「わたしは幸せ者」。
ジェーンが思い出話をするでしょう。
むかし、舞踏会でクチナシの花を付けたかったけれど、高くて買えなかったのって。
それが今では手に入るようになった。
けれど、その花も橋の上から落としてしまう。
男の人がなんとか拾おうとするのだけれど、あともう少しのところで手が届かない。
列車に乗る時もそう。
クチナシの花はずっと憧れのまま、物語は終わってしまう。

男女の行方を花で表現する、デヴィッドリーン監督の趣に酔いしれてしまいますね。












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とと

ととの感想・評価

3.7
レナートがめちゃくちゃかっこいい……
あと単純にベネチアの街並み良いなあ
miri

miriの感想・評価

4.6
こういう映画本当に好き
ストーリーも雰囲気も音楽も全て❤︎
ロマンチックで切ない
出会えてよかったと思える映画
ヴェネチア行きたい〜!!
サンタルチアと言えばトムとジェリー。
今リメイクしたらむちゃくちゃヒットしそう。
というか、そもそも古さを全く感じない。
【夏の思い出】


ジェーンは愛を求めて、
ヴェネツィアへと降り立った。


そこで男と恋に落ち、
ジェーンは一夏の幸せを得るが…。


【バラード】


ジェーン
『男一人も手に入れられやしない。』


それは彼女の責任ではなく、
妥協を知らぬ彼女に見合う男がいないからです。


彼女は未来が読める。
だから一時の情に流されない。


そんな彼女に、
一時の迷いを与えただけでも、
レナードは大したもんです。


ガラスの靴を落として
シンデレラは幸せを得ました。
ガラスの壺を落とさず
ジェーンは強さを得ました。


十二時に魔法は解ける。
一時になると人は迷う。
二時になると踏切の前にいる。
そして三時十分、決断の時。
櫻

櫻の感想・評価

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長期休暇を取ってアメリカからヴェネツィアへ一人旅。彼女がはじめてヴェネツィアへ足を踏み入れた時の表情の高揚感。映し出される街並みの美しさときたら、、。「これから自由の身よ」と楽しそうに街を歩きまわっても、言葉の異なる異国の地では少々孤独感を抱いてしまう。街の案内をしてくれる神出鬼没で親切な少年がかわいすぎる。赤いグラスが引き寄せた男性からのあんな愛はごめんだなと思ってしまうが、彼女の眼には何倍もヴェネツィアの街並みを彩らせたことだろう。旅の終わり、ひとときの恋は儚い、クチナシの花は届かない。
キャサリン・ヘプバーン演じる美しい熟女。旅先のヴェニスの妙なる風景の下(行ってみたくなる一流のヴェニス観光案内!)、自分を変えたいと志すが、臆病な自尊心が行動に踏み出させない、その様の描き方がリアルで見事である。
この女はこれまでの人生でこうやって色々なチャンスを逃してきたんだな、という前半生がキャラクターの設定を越えて実感として迫ってくる。女ながらに童貞を拗らせたようなネガティヴ思考。最初はちょっとしたボタンの掛け違いだったのかも知れないが、ささいなミスからの連なりが彼女を自尊心で心を鎧ろう寂しい女にしたのだろう。そんなリアリティがある。
その点では、『マーティ』や『バッファロー'66』のような作品に通じる感慨、孤独な「我々」の物語を描いてくれているという感慨を抱く。しかし、これを男ではなく女を主人公として描いたのがこの作品の肝だろう。
そしてヘプバーンの相手役となる中年の古物商(ロッサノ・ブラッツィ)は、ヘプバーンの頑なさをイタリア式にとき解す。腹が減っていれば、理想などうっちゃって、飢えを満たせ!という直截的な迫り方がつい考え過ぎる我々に何かを迫ってくる。いや、いくらなんでもそれは…と思ってしまう我々は所詮、ひ弱な文明人なのかも知れない。確かにそれで、孤独=飢えは癒えるのだ。
やがて別れの時がくる。何故別れを切り出したのか。女は愛が永続しないのを知っている。夏の終わりが迫っているからだ。女は二度と飢えたいとは思わない。
あの夜、男は川に落ちてしまったクチナシに手が届かなかった。クチナシはダンスパーティの時に贈られる花だ。私は幸せです、という意味だという。別れの時、女もクチナシに手が届かない。だが女の表情は涙の中で愛を掴んだようにも思える。涙は止まらない。
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