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フライド・グリーン・トマトのKtoのレビュー・感想・評価

4.9
【ひとこと説明】
カフェを経営する二人の女性の出来事を、女性が語る形式のドラマ
同性愛映画としての文脈で取りあげられることが多いが、ジェンダーや人種に基づく差別・偏見も描いており、1991年に公開されたとは思えないほど現代的なメッセージに富んでいる凄い映画。

【感想】
軽やかで爽快で元気が湧いてくる、傑作ドラマ映画だった...。

人物が回想を語って聞かせる形式で、「落下の王国」や「ユージュアルサスペクツ」と同様の構成となってる。
このパターンが面白いのは、その物語によって聞き手(=エヴリン)が人生が変わってしまうほどの多大な影響を受ける点にあるよね…。”物語(広義)”への賛美。
“エヴリンと二ニーの世界線”と”イジーとルースの世界線”の入れ子構造になっていて、どちらでも気持ちの良いドラマが進んでいくから凄い。

車ぶつけまくるところは本当に面白い。”物語”をきっかけに、ジム通いしたり、服装・髪型・メイクがより洗練されて綺麗になったりと、夫にも自分自身にも中途半端に気を遣っていた頃のエヴリンから圧倒的成長を成し遂げていて感動する。更年期を迎えるエヴリンを優しく見つめる二ニーの眼差しもいいんだけど、「ホルモン剤打ったの?」はめっちゃ笑った。「殺すときは手を使うわ」

“…best friend and I love her”
同性愛関係は、原作ではより明確に描かれるらしいのだけど、映画でもほとんど明らかに描かれてた。南部の抑圧された男性優位社会における女性同士の恋愛。「キャロル」などの例に漏れず、周囲から厳しい扱いを受ける中で、お互いの内に密やかなユートピアを見出すような関係性は普遍的な美しさがあるよね。

“I can’t even look at my own vagina!” のシーンは笑った。「セックスエデュケーション」のママみたい。女性の主に性的な自律を促す集まりのシーンとかでたまに見るけど、本当にやってるのかな...。

根強い黒人差別に毅然とした態度で対応するイジーが逞しい。イジーは、どことなくクリステンスチュワートに似てて、少年の様な中性的な雰囲気があった。
Kto

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