しまうま

ON AIR オンエア 脳・内・感・染のしまうまのレビュー・感想・評価

3.5
 邦題でだいぶ損をしているなと感じた本作、密室パニックものの映画としてはとにかく設定が面白いし、いろいろと興味深い内容の作品だった。


 小さな町のラジオ局DJであるマジーが仕事場に車を走らせていると、助手席側の窓を叩く女性の手があった。緊急事態かと窓を開けたが、そのときにはすでに女性の姿はなかった。
 今日はバレンタインデーで、仕事場にはディレクターのシドニーとエンジニアのアンという、二人の女性がいるだけ。保守的なシドニーと口論しながらも、いつものように番組を進めるマジーだったが、リポーターであるケニーから「町の医者の家の周りを暴徒が囲んでいる」との不穏な連絡が入るーーというのが大まかなあらすじだ。


 感染ものといえば話は早いけど、その「ある種のウィルス」が人に感染しているかどうかのライン引きが今作はとても難しい。
 そのせいで「この人は感染しているのか、それとも非常事態のせいで少しテンパっているのか、もしくは本当に気が狂ってしまったのか」と、観ているこちら側の判断を迷わせてくる。自分でどうジャッジをするか、を楽しめるし、感染後の「人が狂っていく過程」も、外見はあまり変わらないぶん、余計に怖さが増してくる。


 設定の妙、が秀逸な作品なので、これ以上詳しい感想となると、ネタバレしながらになってしまうことを許してほしい。欲を言えば、ラジオDJである主人公のトークに、もう少し小粋なジョークであったり、「優秀なDJ」的な何かを表現してほしかったということくらいか。

 登場人物は限られていて、ほぼラジオ局内だけで話が進む流れではあるけど、ある程度やり尽くされたであろうこの手のジャンルの映画で、まだこういう斬新かつスリリングな今作があるというのは、僕ら映画ファンにとって嬉しい誤算なのかもしれない。



ーーこれ以降、ネタバレあり。


 感染者が、普通の人とは「どこか、おかしいぞ」と思わせる最初のとっかかりがとても怖くて印象深かった。
 町での暴徒発生の中、ゲストとして来たミュージシャングループに歌を歌ってもらうのだが、曲が終わった後、グループのひとりの少女が「終わらない」という言葉をループさせていく。DJのマジーがひとり、その異変と向き合う羽目になるこの展開、「目撃者はひとり」であり、「傍目には異変はわかりにくい」こと、なにより「いったいこの子には何が起きているのか」と、混乱させられることになる。
 奇妙な現実が横たわっていることを肌で感じる瞬間、ほんとうにおそろしかった。


 感染の過程も見事だけど、前述したようにその感染経由が「言語」であるということは、ほんとうに「うまい」と唸らされた。
 ノーム・チョムスキーという言語学者は、言語に関して遺伝が関係しているということを提言した。人は0から言語を覚えると仮定したとき、6年ほどで意思の疎通に滞りない程度の言葉を話せるようになるけど、それは人間の脳の能力からして「ありえない」らしい。
 遺伝が関係するとしか考えられないというものだが、そのチョムスキーの提言に当てはまらない言語やパターン、例外が多いのも事実らしい。

 どういうことか。
 僕たちは言語について、未だに「科学的にはわからないことがとても多い」ということだ。今作はそういう「生活の身近にあるけど、実は解明されていないもの」である「言語の謎」に踏み込んだ一作になっていると僕は思う。


 そして問題のラストシーン。
 いろんな意見があるとは思うけど、ここでは僕なりの解釈を書いてみる。

 マジーとシドニーは最後、「感染を治す方法」をラジオで発表したが、軍がすべてを「無かったこと」にするための掃討作戦に巻き込まれ、(おそらく)死んだ。そしてエンドロールが流れた後、画面にはなぜか、さっきとは全然違う格好、違うキャラとして登場したマジーとシドニーいくつか会話を交わす。最後、マジーはシドニーが「ベイビー」と言おうとする唇をふさぐ。
 まず、このエンドにたどり着いた僕らが分かっているキーワードがある。「終わりはない」ということ。これは感染が、この映画が終わった後でも僕ら映画の観戦者にも広がる恐れがあるということ。
 そしてもうひとつは「愛をささやいてはいけない」ということ。
 
 つまり、最後に立っていたあのマジーとシドニーは「別次元の(おそらく別の映画の登場人物的な)人間」であり、その「別作品」から僕たちに忠告をするために登場してくれたということになる。あの時間は、もう今作の映画としては「まったく違う意味合い」の時間というわけだ。
 そういえば、エンドロールが流れたにも関わらず「おわり」的な言葉は一切表現されないまま幕が下りる。リアルの世界にいる僕たちにも、感染の恐怖があるという可能性を提示してくれる終わり方になっている、というのが僕の解釈だ。

 長くなってしまったけど、二人が感染を治すのに思いついた「意味のない言葉を紡ぎ、言葉を理解せずに言葉を発する」具体的なやり方として「Kill is kiss(殺すとはキスすることだ)」を挙げたというのは、とても映画的で僕は大好きだ。
 二人は実際にキスをすることでウィルスを殺した。意味のない言葉を紡いだつもりが、二人は実は意味のあることをしていた。このパラドックスが、今作の最高の魅力のひとつだと思う。
しまうま

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