世界の終わり。
それは突然に告げられた。
しかし、同時に21日間の猶予を与えられた。
確実に終わっていくのがわかっていながら、人は何に価値を見出し、何を為すべきか。
例えば世界に終わりが来なくても、人は其々いつか消えて無くなる事は約束されている。
しかし、空蝉の暮らしの猶予は余りに冗長で、多くの場合、その中で見付けるべき真の価値などうやむやにして、
気付けば人生という喧騒の中、ただ流されて生きることにさえ青息吐息を漏らすことになる。
しかし、その猶予の日数が明確にされた時、原初の祈りにも似た感情が唐突に発現する。
その世界では、殆どの人が最早生きるための手立てを考えることを放棄する。
人類の最後の希望が潰えたことは、既に物語の冒頭で知らされている。
途方の無い人力とあらゆる英知を費やしても、「それ」は止めることは出来なかったのだ。
人はそれぞれに自身が心の内で求めるものを模索し、行動に移し始める。
欲望のままに破壊を繰り返す者、禁じられた快楽を貪る者、ただただ性欲を満たす者。
誰もが社会生活の中で曖昧にしていた心の欲求は、世界の終わりを切っ掛けに辺り構わずその姿を明確にする。
そうかと思えば、日常を捨てず、淡々と生活する者達もいる。
絶望の最中、主人公の妻は早々に彼の元を後にし、不倫相手へと走る。
彼は保険営業マンとして生きてきた。
彼の人生で得たスキルは最早、多くの人達の為に何かをもたらす事は出来ない。
直ぐ近くの人一人を救うことすら出来ないだろう。
彼は、自らの過去を振り返って、何か心残りは無いだろうか?と考える。
このやりきれない孤独を、何とか和らげる方法は無いだろうか?とも。
心残りなど山ほどあっただろう。
しかし、彼が選んだ「最後の価値」は、かつて想い合い、離れてしまった最愛の人にもう一度会うこと、であった。
穏やかなる世界の終わり。
最良の人生の終わらせ方。
人々はせめて心に何かを抱きながら終わりを迎えたいと切望する。
それは「神」かも知れない。
或いは「満足」や「誇り」かも知れない。
多くの人が、自らの享楽に生きる中、
都市に灯りを点す為、文明の火を絶やさぬ為インフラ機能を保つ人たちがいる。
迫り来る終わりや都市の状況を伝えるためカメラの前でただ一人話すアンカーがいる。
最後の最後まで、自らの務めを果たした人達も、
本当の最後に備えるため、それぞれ大切な人のもとへ帰っていく。
愛する人、あなたに何を伝えよう。
きっと何だっていいだろう。
今、ここにこうしていることが、人生の答えなんだから。