Fitzcarraldo

そして父になるのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

そして父になる(2013年製作の映画)
4.2
第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品。
本作に感動したスピルバーグと是枝監督がロスで対談した結果、米ドリームワークスでリメイクが決定してるらしいが、その後どうなっているのか定かではない…。

本作は企画ありきで始まった訳ではなく、福山雅治が是枝監督に熱烈オファーをした結果、まさか自分とザ・スターである福山雅治という存在が重なるとは思ってなかったので、それなら考えてみようかなというところから始まる。

映画監督であれば、もちろんビジネスのことも考える必要が多少なりともあるとは思うので、自称スターの“にしきのあきら”からラブコールされたところで企画が始まるなんてことは万に一つの可能性もないが、真のスターである“福山雅治”からのラブコールであれば、一定の数字は確保されるだろう算段は付くはずだし、何よりいつも正しい導きをするチイ兄ちゃんからの頼みを断る人間は居ない…あのロン毛のアンチャンを除いて。

是枝監督曰く、自身のキャリアで、ひとつのエポックというか分岐点になった作品と語る本作は興行収入32億円を叩き出し是枝作品で一番のヒットに導く。チイ兄ちゃんの求心力には是枝監督自身も驚いていることだろう。

是枝監督による脚本だが、いろいろメイキングを見ると是枝サンは現場を進行しながら脚本を随分と書き直す方。
まさに自身のフィールドワークであったドキュメンタリーを撮るテレビディレクターの如く、撮影をしながらハプニングやアドリブを受けてキャラクターを構築する。なので、役者が台本に書かれたキャラクターに向かって役作りをするのと同様に、役者が作ったキャラクターに対して更に監督も脚本を書き直すことにより、そこに寄せていく。まさに相互関係によって生まれているのが是枝監督の作風なのだと思う。

やはり本作を見てても、どうもアタマからオシリまで書き上げたものを効率よく撮ったとは思えない。その方法論を否定するわけではないが、これを映画といえるのか…は疑問である。じゃー映画ってなんだ?と問われたらぐうの音も出ないのだが…んーなにかが釈然としないのだが言語化できない。

本作は劇場で一度見て、二度目なのでお客さんというよりも俯瞰した立ち位置から語る。

さて物語の話を…
福山雅治自身はじめての父親役ということでタイトル通りそして父になったわけだが、無味乾燥で生活感のないスター福山雅治だからこそ野々宮良多という一流企業でバリバリ仕事して高級車の代名詞レクサスを乗り回しタワーマンションで暮らし、型にハマった子育てしか出来ない役が成り立つ。まさにあのチイ兄ちゃんが父になったらこういう感じかも?!と続ひとつ屋根の下として見ることもできる二日目のカレー的な旨味を含んでいる。

DNA鑑定の結果、
「資料1、野々宮良多」、「資料2、野々宮みどり」と「資料3、野々宮慶多」は、“生物学的親子でない”と鑑定し、結論する。

と、子どもの取り違えが判明した帰り道の車で福山演じる良多は「やっぱりそういうことか…」とTwitterであれば炎上確実で廃止にまで追い込まれる真木よう子宜しく最低な呟きを披露してくれたチイ兄ちゃん輩先、さすがです。

さらに家に帰ると、お前はまだ群馬を知らない宜しく前橋をディスりまくる。「だから言ったんだよ、あんな田舎の病院で大丈夫なのかって‼」コラコラコラコラ群馬県人は怒ってよし。自分の忙しさを棚にあげて家庭を全く省みないダメ亭主の典型を表す最低で最高な台詞が続く。

「なんで気付かなかったんだろう…私、母親なのに」
良太の妻みどりを演じる尾野真千子の台詞、これは取って付けた感じを受ける。普通気付かないんじゃないッスカ?!
産まれたての子なんて外人の子以外なら分かりゃしないよ。みんな同じでしょ。お腹を痛めてやっとこさの思いで産まれた子に向かって、「この子わたしの子じゃない!!」なんて言う母親いますかね?これは取り違えてるからDNA鑑定しろって?それ取り違えてなかった場合の、自分の子の立場はどうなっちゃうんでしょうね…知らんけど…
ということでその不自然さが、その後の展開の為だけに言わせてる感があるので、ちょっと気持ち悪い…

そして取り違えられたもうひと家族の斎木雄大をリリー・フランキーが演じ、その妻の斎木ゆかりを炎上女優でお馴染みの真木よう子が炎じる。

取り違え家族の初顔合わせで遅れて登場する斎木家。そして、部屋に入りながらボソボソと話すリリーさん。
「あっすいません、すいませんお待たせしちゃって…いやもうコイツが、出掛けになってからそのセーターじゃどうなんだとか急に言い出すから」
ブハッ…つい吹き出してしまった台詞。これよくウチの母親も言ってて、「いーよ別に何でも一緒だよ」と冷たくあしらってしまった若き日の自分を反省しつつ、これってウチだけの伝統じゃないんだとホッとして少し嬉しくなる。このクダリは何度も繰り返し出てくるが、これは恐らくリリーさんのアドリブではないかと思う…申し訳ないがこの台詞を書くユーモアのセンスを是枝サンは持っていないはずだし、このシーンでこのセンスはどう考えてもリリー・フランキーのはずである。…と勝手に思ってるが、間違ってたら謝らなくては炎上するかも(笑)

そして初めて互いの実の子の写真を見せ合うシーンで、野々宮家は当然のようにスタジオで撮影した証明写真。対して斎木家は「今年の夏、サンピア行った時」とプールではしゃいでいる写真。「ちょっともっとはっきり写ってんのなかったの?」と突っ込む妻。
登場から二三言で、野々宮家との違いをはっきりと見せるあたりは是枝監督の演出だと思う…が…このコントラストが強過ぎる気がする。もちろん敢えてそうしてるんだと思うけど、一流企業の所謂世間でいうところの勝ち組と、あんな田舎のとディスられる側の群馬に住む所謂庶民代表…の対比により、あなたはどちら側?自分ならどうする?と見る側に訴える構図になっているのだが、その所謂というところの両者の家族が絵に描いたような記号的な家族であるのが個人的には引っ掛かる…これも感覚的な部分だから人それぞれ受け取り方は違うと思う…

かと言って、どう描けば良かったのかの解決案もないので、オマエが言うなと一蹴されて終わりだが…。

「とにかくこういうケースは、最終的には100%ご両親は交換という選択肢を選びます。お子さんの将来を考えたら、ご決断は早い方がいいと思います」と病院側。
取り違えのミスを起こした側の人間がこの台詞は言わないでしょ?!しかも互いの家族の初体面で。オマエどの口が言ってんの?なぜ怒らない?なんか冷静…もう少し動揺してても自然な気が。動揺してるからこそ、落ち着こうと冷静を保とうてしてるのか…ならいいのか。
ただこの100%という数字は、信憑性がない。これもその後の展開のフリとして言わせてるような気がする。知らんけど…

野々宮みどりの母・樹木希林登場‼
良多から手土産のとらやの羊羮をもらい喜ぶ母。やめてよ羊羮ぐらいでと突っ込む娘に、「ぐらいなんて言ったら怒るわよ虎が、わぁーって」かわいい母だこと。「もぅ散々Wiiしてさ、あたし明日筋肉痛だわ」ブッ(笑)これは樹木希林のアドリブでしょ!!是枝サンには書けないよ。

取り違えた子ども達とショピングモールのようなところで初めて会うシーン。フードコートで軽食を買う時に庶民代表のリリーさんが会計を払う。誰もがオヤ?と思った瞬間に「領収書。前橋中央総合病院」と一言。さらにレジ横の商品も追加させるあたり庶民だからこその抜け目なさを領収書一発で表現するのは流石です。

“親の背を見て子は育つ”という諺を体現する斎木家の父リリー・フランキーのストロー噛みを真似する野々宮家の実子、琉晴。その二人の共通点を目の当たりにする良多。生みの親か育ての親か、血か時間か、の葛藤が生じる良多。そして見ている側も良多と同様に考える。

『生みの親か育ての親か』
『血か時間か』

これが本作のテーマであろう。
なにせ、この日本社会では実子を血縁がない子どもより優位におく実子主義がまだまだ一定の効力をもっているために、これまで一度も会ったことがなかった琉晴を「実の子ども」として親である自分たちと何か特別な関係であるものとして捉えることを前提にしているからである。

あとは本作を見た者同士で自分ならこうする、ああする、という論争を各地で繰り広げてくれたらいいと思います。間違っても地方ディスりの方向に行かないように山本小鉄を審判にでも呼んでフェアな勝負に期待したい。
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