Fitzcarraldo

PERFECT DAYSのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
4.2
Wim Wenders作品とは水が合わない私であるが今度はどうか…

先ず気になったところを…

役所広司演じるヒラヤマと、中野有紗演じる姪っ子のニコが自転車で並走している。

「今度は今度、今は今」

少し節をつけて歌うように言うニコ。
そこまではまだよかったが、その後に伯父さんのヒラヤマも続けて同じように…

「今度は今度、今は今」

これを互いに繰り返す。まさにブルースの起源かのような典型的なコール&レスポンスオンチャリ。

あれだけ無口で通したヒラヤマが…なぜここでテンション上がって同じ節で繰り返したのか…いきなりすぎて、ちょっと何言ってるかわからない。

見てるこちらが照れ臭くて仕方がなかった。役所広司はここで反論しなかったのか…どう役の理解をしていたのか気になるところである。

ほぼ話さない寡黙な男が、姪っ子の不意な登場で歌うほどテンション上がるか?

独居生活の長い私からしたら、不意な来訪者は困る気がするが…しかも姪っ子とはいえ年端も行かぬ女の子となると…

“Jagten“(2012)『偽りなき者』を思い出してしまう。あらぬ事を言われでもしたら、その烙印を容易に消すことはできない。

ここで何か嬉しそうにしてるヒラヤマが、前時代的というか、古い、昔の昭和の男を良しとしている監督の男性像のようで、少し気持ち悪くもある。

これは、かなり穿った見方であるのは自覚しているが…なにか手放しで褒めることには抵抗しときたい。

しかし、歌うのは何か繋がってない気がする。普通に「今度は今度、今は今…」と呟くように言えば気にならなかったと思うのだが。



そしてヒラヤマが馴染みにしてる古書店の女主人…演じてるのは、どなたか見受けられなかったのだが…とにかく芝居がかっていて悪目立ちしていた。映画のトーンに合ってないというか…芝居過多。ザ芝居してます感がゾワゾワする。これは柄本時生にも同様に感じたが…

この古書店の主人はモデルがいるのか?
ベンダースが実際に日本で体験したのか?それとも日本人の脚本家のアイデアか?

私もどこどこの駅に行ったならば、あそこの古本屋へは行こうと、馴染みが何軒かあるが、主人から一度も話しかけられたことはない。

古書店の主人なんて大概が無口である。そう、ヒラヤマのように…。それをベラベラと…さらに客が買った本をネタにして話し出すなんて古書店の主人が一番やらない行為だと思うんだよなぁ。

ヴェンダースの馴染みの古書店では主人が話しかけるのかな?…それは単なる顔を障しているからでは?おっ、ヴェンダースじゃん!と、主人が気づいたから話しかけただけだろう…

大抵、ただのオッサンには話しかけないと思うよ。

ここで女主人が話しかける必要性がないんだよなぁ…常連感を出したかったのかな?まさか演者のアドリブではないだろうし…

非常に違和感のあったシーン。




家からさして遠くない場所にスカイツリーが大きく見える。
この時点で墨田区か、台東区か…このエリアで駐車場付きで、一階と二階があって、それも2階に2部屋ある物件。銭湯に通うということは風呂無しと仮定しても、家賃はそれなりにするはずである。

軽自動車とはいえ、ガソリン代も高騰してる昨今、車の維持費だってばかにならない。

トイレ清掃業で幾らくらい給料あるのか?ヒラヤマは正社員なのか?非正規なのか?

質素な生活ぶりに見えるし、そんなに余裕ありそうには見えないが、石川さゆりがママという最強なスナックに通う。

あのスナックは座って一体いくらなのか?

最近、私が懇意にしてるスナックは、ボトルを入れて5,000円、前回残ったボトルを飲んでも5,000円という謎会計であったが…

そしてヒラヤマがニューバランスを履いているのも…気になった。なんか世田谷の香りというか…金持ちの名残りがあるなと。

これがヒラヤマの妹を演じる麻生祐未の登場で、なるほど…これは全て伏線であって狙いだったのかと…どこにでもいる伊賀大介の仕事か…ちょうどよく垢抜けた感じの私服のチョイス…さすがである。

父親がもう先は長くないと…兄に告げる妹は、運転手付きの高級車でニコを迎えに来る。

妹は何の仕事をしているのか?親の遺産を生前贈与でもしたのか…

ヒラヤマは相続税を払い終わったから第一線から退いて、トイレ掃除を始めたのか?
それとも自身にも何か病気があるのか?

この辺りを特に描かないので、見ている側の想像力でいかようにも物語を広げられる。あるいは中盤でウトウトしてしまったので、そこで何かしらヒントはあった?



しかし影踏みは…ないだろ、さすがに。あえてね、敢えてやったんだろうけど…初対面のオジサン2人が、じゃー影踏みしますか?ってなるか?初対面だからこそ?いや…ちょっとわかりません。

これヴェンダースじゃなかったら、プロデューサーが絶対ツッコんでくるんじゃない?新人の脚本家がト書きで「影踏みするオジサン2人」って書いてOK出せるプロデューサー逆にいる?

誰が書いたか分からないようブラインドにしたら、このト書きボロクソに言われそう。コンプライアンスや性暴力も大事かもしれないが、そういうところも業界は何とかしてほしい。

巨匠だから何も口出さない、新人だから何言ってもいいというのは…それこそどこにでもある権力構造そのもの。

先ず世界に冠たるメガシティTOKYOで、GPS機能も使わずに、さもありなんのように巡り合うなんてことある?

そもそもヒラヤマが一方的に覗いてただけで、三浦友和からはヒラヤマのこと見えてないと思うけど(元嫁と抱き合ってたし)それなのに「さっき見てました?」(正確な台詞は忘れたが…)的な感じで話しかけるって…元嫁からヒラヤマ情報を聞いたとしてもねぇ…


で、わざわざ三浦友和の方がヒラヤマを探して、「元嫁です」(正確なセリフは忘れたが…)言い訳みたいに説明するのも何なんでしょう?必然性がまるでない。単にヒラヤマに対しての説明台詞でしかない。

さらに初対面のオジサンに自分の病気の話する?そこからの影踏み…なんだかモヤモヤする。平凡な日常を無理やりに劇的にしようとして破綻したとしか思えない。

姪っ子の登場くらいで留めておけばよかった気がする。それでもヒラヤマからしたら非日常だし、十分に劇的かと…



よかったところも挙げておく。

軽自動車で毎朝出勤するヒラヤマ。普通は車のエンジンを掛けたら、前回降車した時点のとこらからカセットテープはスタートすると思うが、ヒラヤマは毎回必ずエンジンを切る前にカセットを取り出していると見える。

そして毎朝、その日の気分でスカイツリーが見える場所に車で通ったら、そこでやっとカセットテープを入れる。映画の中のルールとしてこれを徹底させると見ている側も分かりやすくていい。それを(カセットテープを聴くこと)ヒラヤマのルーティンの一部として捉えている作り手側の気持ちが嬉しくもある。

そういう自分ルールは大切よね。他の人からどうでもよく思えてもね。

私も夜の湾岸を車で走る時はエリック・クラプトンの時代が長くあったもの。




運転手付きの高級車に乗っている妹。

「本当にトイレ掃除してんの?」

蔑んだような物言い…

妹に対して兄の返事が、これ以上ないというほどの大きな作り笑いで頷くだけ。ヤバい…ここ最高すぎる!遠くない将来、20年後の自分を見るようで胸が苦しくなる。

この先どんなに世界が進歩しようとも、多くの人間がAIに仕事を奪われようとも、人間の排泄は変わることなく続くであろう。そうなると人間の仕事なんてトイレ掃除しかなくなるのではないか?世の大半がトイレ掃除の仕事を奪い合うことになるのかもしれない。

そして私は20年後にトイレ掃除争奪戦に勝利をしてをして、便器裏の見えないところにも手鏡を使って掃除をしているオジサンになっていることだろう…そこらへんの技術の進歩はこの先あるのか?やはり人の手を使わないと綺麗にならないのか?



毎朝のヒラヤマのルーティーンをこれでもかと、しつこくしつこく重ねていく…編集点を変えながら…上映前にまた酒を飲むという暴挙の所為なのか、この繰り返しにタイムループものを見ているような錯覚に陥る。

そしてウトウトしてしまうのだが、フッと目を開けると、またヒラヤマが歯を磨いてヒゲを整えている。そして玄関を開けるとものすごくいい顔で空を眺める。

なんかいいなぁ…

いい歳したオジサンがただ歯磨いて、ヒゲを整えて、空を見上げてるだけなのに、なんでこんなにいいのか。その裏には、これまで生きてきたであろうヒラヤマの長い人生を感じるからだろうか…

毎朝毎朝同じことの繰り返しをするのを客観的に見せられると、こうも堪らない気持ちになるのか…みんなそれぞれ等しくやってるであろう日常なのだが、なにか下っ腹からぐーうっと込み上げてくるものがある。エモいという言葉もすでに死語になってる気もするが、だからこそ敢えて使いたい、オジサン的には物凄くエモかった。


そして本作のハイライトはNina Simoneの"Feeling Good"である。もうこの曲は大好きなので、イントロドンをやってるかのような速度で、すぐ万歳をしてしまった。もう流れるタイミングも最高だし、ヒラヤマの顔アップも最高!

最高のエンディングではあったのだが…ただヒラヤマのアップが長い。かなり引っ張る。私としてはもっと早く暗転にして、エンドクレジットを見ながらニーナシモンを聴いて余韻に浸りたかった。

長いよ。
海外ではこの長いエンディングがまさにヒラヤマの人生を表していると評価が高いようであるが…

運転してる演技をしながら、さらに内面を爆発させて感情を表現する。それを正面からドアップで撮ってたら、どうしてもやりようないし、間を埋めるために余計なことをしてしまう。それがなんかくすぐったいんだよな。せっかくニーナシモンからの役所広司のアップで、ここでバッサリ終わったら最高じゃん!と思ってたのに、待てど暮らせど延々と顔芸が続く。

カットがかかるまで続けるのが役者の性分だから、100%で感情が続いているうちはいいのだが、どこかでどうしても%が落ちまうので、そうなると無意識にプッシュしてしまう。

そこに芝居を感じてしまうのだが、あの役所広司をもってしても、ラストにはそれを感じてしまった。もったいない。

とはいえ、映画を見てからこの何日かはパーフェクトなデイズを目指して一心不乱に掃除に励み、あらゆるところをピカピカにしている。
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