Fitzcarraldo

ファースト・カウのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

ファースト・カウ(2019年製作の映画)
3.0
現代の映画人で一番新作が気になるKelly Reichardt監督作。

Jonathan Raymondの“The Half Life“を原作にケリーとジョナサンが共同脚本。

世の中がクリスマスで浮かれてるところに反旗を翻すのに最適な一本。何らクリスマスに縁のない物語。

「クリスマスなんて関係ありません」というスローガンを掲げてるかのようなシニア世代たちが席を埋める。

私は決まって劇場では最後方の壁側に座るのだが、最後方から見ると背もたれからハミ出た後頭部は白髪かハゲばかり…見方によってはサンタさんに見えなくもない。

そんな中、耳が遠いのか予告前からベラベラと話すおばちゃん2人組。歳を重ねると段々と高い声が出なくなるのか?低い声が劇場全体に地鳴りのように響く。なんで低い声はこんなに響くのか…まぁ別に予告前だから、いくらでも話をすればいいが…腹にドスンと響くあの声は何なんだろう。

予告中も延々と終わらない井戸端会議…なにをそんなに話すことがあるの?ここにきて…

本編ではさすがに黙ったが…腹にビリビリと響く低い声に、本編前からなぜか映画を見る気を失せてしまった。

さらに気になって集中力を削がれたのが客席誘導灯の明るさ。…どうも新宿武蔵野館の客席誘導灯は明るすぎる。1列飛ばしにして間引くとか、暗めのフィルムを貼るとか、なにか対策してくれないかな?

階段の段差のところに赤い光がポツポツとあるので、それがあれば充分誘導できると思うのだが…各列の壁に白い光がパッキパキについてるのは目障りである。明るすぎるからスクリーンの邪魔をしてしまう。

都心の夜空に星が見えないのと同じ。
あらゆる場所で煌々と電気を放っているから夜空に浮かんでるはずの星が見えない。本来真っ暗であれば見えたと思われる夜のシーンがほぼ見えなくなってしまっているのは非常に残念である。

劇場はキチンと闇を提供してくれないと…何のためにお金を払っているのか、わざわざ何のために時間を合わせて足を運んでいるのか…

劇場の主任クラスは実際にいろんな席に座って、どんな見え方なのか作品ごとに確かめないのかな?そこはキチンとご自分の目で確かめてほしい。

いつの間にか大人2,000円に値上げされたことにもこちとら納得してないんだから。単純に値上げするのではなく、それなりのケアは必要かと思う。

これは消防法?それで客席誘導灯の照度など明るさは決まっているのか?非常時だけ点灯すればよくないか?それくらい屁でもない技術じゃないのか?常時点灯してる必要性をまるで感じないのだが…

これは意外と他の劇場でも気になるのだが…本作では特に夜のシーンが多いので武蔵屋館は悪目立ちする。

さらに武蔵野館の椅子がヘタリすぎてしまってお尻が痛い。クッション性が失われて久しい。これはもう入れ替えた方がいい。

客席誘導灯はビカビカ光ってるし、客席はへたって座り心地悪いし、客席には白髪とハゲしかいないし(それは別にいい)2,000円払って環境がイマイチなのは何のために来てるのか分からなくなってくる。


そんなことでスタートから集中を削がれてしまい全く映画の世界に入り込めなかった。オープニングショットの船が横移動している間にもう…うつらうつらしていた。

何度も何度も短い寝落ちを繰り返すも、いつ目が覚めても何ら状況は変わってない印象を受ける。ライカールトお得意の「何も起きない」

この世界観に没入できなかったら非常に退屈だと思われる。

後半、ようやくドラマらしいことが起こるも…まぁそうなるのは目に見えてるし…これから思いもよらないことでもあるのかなと期待していたら…バシン!と終わるという。

エンディングが「おっ!?」となる。
こんなところで終わるのか?これは商業映画では昨今なかなかない斬新さがある。
こういう終わり方は好みではあるものの、体感的には20分くらいで、ほとんど寝てたので本作に関して何も語る資格はない。

なのでライカートの言葉を置いておく。


ライカート
「映画の登場人物を知ることとは、その人がどのように身体を動かすか、物事にどのようなアプローチをとるのかを考えることです。そのキャラクターが何を感じているのかを、言葉にせずとも観客に伝わるようにすることを考えます。
1800年代に暮らす人々にはやるべきことがとにかく多かったはずで、心休まらぬ毎日だったと思います。夜は真っ暗ですから、限られた日中の時間でやりくりしなければならない。そんな状況にいた人々がどのように身体を動かすかを掴みたくて、あのシーンの撮影では俳優たちが動作を重ねる様子を見つめ、ただカメラを回し続けたのです。それを監督として見ているのは心躍ることで、観客にもその良さが伝わっているといいな、と思います。日常の雑務に対する向き合い方というのは、その人自身をとても雄弁に語るものですから」
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