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伊太八縞
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『伊太八縞』に投稿された感想・評価

✔️🔸『伊太八縞』(4.6)🔸『日本一の岡っ引き』(3.2)🔸『エノケンの誉れの土俵入』(3.8)【部分のみ】🔸『修羅八荒 終篇』(3.7)🔸【企画関連上映】『修羅八荒 第二篇』(3.0)🔸『懐古二十五年 草に祈る』(2.8)▶️▶️

中川の監督歴は右太衛門プロやマキノの時代劇から始まったようだが、その戦前キャリアもある程度残ってて、観る側としては、山中や伊丹の感触・影響のハイセンスを感じる。『虞美人草』や金語楼・エノケンもの現代劇については他欄で触れた(つつある)。映画・文学青年色隠さない固有スタイル固まる前の、より流動的で果てない先を感じさせる時期もふくめ。
 中川信夫に関しては昨年というか2、30年前から、戦前作は三本位しか観た事がなく、半世紀近く前に最初に観た『~頑張り~』からして、以降も全て映画そのものの、呼吸とキレを持ち、同じ本数の戦前作品を観れた黒澤明と比べると、遥かに上位にあったし、映画や表現の可能性を限りなく体感させてくれた、『~四谷~』だけともされてた半世紀前一般評価を遥かに上回る器の内在。後の川島と同じに、批評眼・陶酔癖を併せ持った掛け値ない映画青年(他にも目を向け)だと、一瞬で分かる映画群だった。実作に入ってくると、間違いなく他の作者以上にギャップを感じて行き、川島は戯作者の見かけを強め、この人は他と一線をひく職人ぶりを強めていった。 
 中川はこの時代、多感な張り出しから視角を限定・フォーマルな節度を据え、そこから形にならない無念の様なものを炙り出す力切替えのセンスの期に入ってるのだろうが、これはまだまだ多情まんまであり、長谷川伸の歯切れいい台詞は、苛立つ受け手に途中で遮られ、無化される、叱り気無くも無法野放しであり、とっくに終わってる傾向映画のデスペレートさに覆われ、しかしそれはそこに停滞せず、作品土台を超えて、チクチク苛立ちが無条件に突きだし、映画世界を壊すだけに向かい、そこに成功や挫折うずくまり概念は消えてく。時代は1938年、大戦前にそれを感じはねのける表現者らの気概と才気が集中し、その余波を最大に吸収した結果の形もする。日本の田坂・吐夢・清水・溝口・成瀬・伏水、欧米のルノワール・ギトリ・ヒッチコック・フォード・ホークス・ルビッチらの燃え立ち、にも呼応してる面も。
 タッチも青っぽいのか、世慣れこなれてるのか、分からない。すねてるのか、先を見通してるのか。仲のいいどこか崩れた若い男二人のダベり歩きを、様々覆い屋根越しの俯瞰め図や、フォローらで落ち着かず決めんとし、引き継いでく、スタイル以前のタッチ。縁浅からぬも、押しきりにはいかない、自らの崩れかけをしのいでもいる男女ら。自分との事より、相手の面目の為に立ち回っては、気持ち半ばしか表せない、進まない関係性。親友同士二人の、1人(主人公を黒川弥太郎)は、ヤクザの側に崩れかかってたも、見た目はともかく立ち直り、人のいいも・うだつ上がらない浪人のうちに半ば腰を据えてるが、かつての悪い仲間が岡っ引きともつるみ暴力を持って彼の交友や恋愛に割り込んでくる。自分より人を救うときだけ、嘗ての道瞬間舞い戻りもす。一方の友はちゃんとした商家の養子となり、訪ねくる実兄が遠慮する程、今や一点の曇りも感じさせない。何時もイライラしてからかかましい、芸事の女師匠は、見かけはヤクザな男に思いはあるが、相手の積極性の欠如や、勘の悪さに、また、自分の足元不安定に苛立ち、人につけ入る隙も与えず、あちこちやり込めが過剰、「不機嫌」恒にも見える性分。しかし、ひとつ深い人間性伝わりは妨げられず、錯乱め顕しても、悪く言う者もいない。養子の男との仲が語られたり、因縁あるやくざにやられかけたり、道草の間に、裏表に世話になってる両替商大店を通じ、大名にも近い武家からの妾の持ちかけが、本人ハッキリしないまま、玉の輿と本決まり化してくる。邪な使いらの強引ぷりも支配化の中、我忘れ、場をわきまえぬ殴り込みで、制御効かず暴れまくり、周囲と自らの心に、ずた襤褸にされてく主人公。自分も泥にまみれ、倒れ伏した形を共有してくる女。
 先に言った受け答え前で相手の語り終えを打ち切るような、心そこにあらずの、自分を追いやる台詞回しの速度と、言葉の裏の真意の追い立て実態。最新現代劇にもないような、内からの生々しさと沽券と自然の流れ、の作るせっかち・やるせなくも・相手想いからは、例をみないもの。グジグジ定まらぬ男へ、良し悪し超えて「恥知らず」で括る女。そして定まらないも、より深さを感じさせてく、名手玉井の力もあり、タッチは浮き上がらない最小・最鋭利のテクニックを、これ見よがしでない情感の、人の動作を超えた自然な形象の生まれてく、呼吸としてく。高低あるクレーンや長めフォローや、川からの反射揺らぎ光、らはスタイルまで延ばされず、終の棲家に反するのが自分らの恋の成就を無意識に実践してく男女の、逐次濡れた痕跡遺してくを刻むだけの、刹那さだ。
 が、ヴィヴィドややさぐれを超え、驚くべきカメラの美を超えた力群に行き当たるに当たり、スタイル化は通さずに、その瞬間毎に、最良の緊張と大胆さで、描写のセオリーを消し、その瞬間毎が最良に生きる形と中身の最接近・一体化が刻まれ、また、その状況が継続してく。不意に男が女を励まそうと蕎麦屋に誘い、長い付き合いなのに初めての流れで女はおそらく不意の喜びにおずおずと従い、その部屋の隅で二人は膝を付き合わす。その横めからのトウショットの、サイズや角度、人越しや入り口や土間などの絡め収めまで、微細に呼吸しそこに実際にいるかのように、カットが映画のセオリーを消して、刻まれ呼吸してく。被るが形として、小角度変・斜め・縦・戻りら。後年のかくしゃくとした90°変のデクパージュ効果と映るものの発見とは、無縁の無為に毛の生えた程度だが、現実時間以上のリアリティとニュアンスが滲み身を任せまた生き直せる空気。外はその前より雨粒の見える雨が包んでおり、店の暖簾下の粒も大きく強い途切れぬものから、微かになっての名残り粒味まで、気に引っ掛からない位の推移のカットらがはさまる。心象風景でも、自然併行でもなく、宇宙の一体のあり方の眼前化の一例の稀なる目撃。以降、ドラマの高揚や、アクションの壮烈を縫うように、映画でも現実でもない不規則も自然の中の流れが見えてく。軒下の壁の横移動、素っ気なさ過ぎるも嵌まる横フォロー、傾きめや踏み出す顔のアップの不安定捉えら、高い横移動から降りて眺める人の顔捉え冷静力、らが今にも生身に飛び出しそうである。暖簾から垂れる滴以外にも、竹筒ら転ばし、仔猫の動き、アブク浮き上がってる泥川、らが何気に映画を寧ろ平常に戻すように挟まる。人間・社会・自然・関係・ドラマの間の緊張が溶け合い差異を消す奇跡。作家や職人が形作られる前、構えと意識がないところへ、人を越えた世界の引寄せ・降臨、悲惨に見えそれを溶かし込んだ作。10何年も前からBSなんかで話題になってた名作だが、録り忘れていた。
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 同年作『~岡っ引』は、空間や構図・速度の限定されない拡がりと絡まりが、なんか分からないのに、躍動浮遊滑走してく、映画のハイエンド・モデル的作。何か求心力に欠け、曲がった十手が何時戻ったのか、仇打ちが二組かと思ったら、一組は殿様預り品近く改め前に盗み・切腹へ追い込みへの取り返しだったとか、設定自体が一定していない気もするが、どうでもよくなってくるのは、3組の追っかけ~逃げ回りの絡み、その速度感と空間感覚、多勢に無勢の方が追いかけてる・スピード感に水を差す国元の覚悟決めのカットバックの無茶・無駄感、速度もさることながらそれに馬車をたててのお百姓集のスピードに加わりの数、使いに走ったり用で戻ったり方向性の交錯無茶苦茶、らがさらにかき乱してくのが、恒常化してくるからだ。最初の追っかけからして、和製ベン・ターピンみたいなよく出てくる岡っ引きが、極度に脚がのろく、共に旅する立場になっても、足手まといでしかないのも、大胆不敵な設定。本人は追う相手と張って、娘と結婚へ向いて、船頭に職替の策の考えに向いたりもしてる。
 冒頭の川の渡り舟の、両岸の追っかけ・逃げの組のリクエストで目的フラフラから始まり、街道長距離・多グループの追っかけや逆走、預かり品失い切腹時に間に合うかスリル、らの構図の伸び拡がりはともかく向き統制取れず、その大L・多角性・フォロースピード・近写揺れブレフィットも、らの映画とカメラ・対象の活動力抜群。最新アメリカアクション映画にも負けず。
 巾着切を追う岡っ引き、殿様預かり印篭奪い切腹追込み者を追う子息侍、それらの交錯で川渡り船頭が殺され、その娘の仇討ち旅加わり、その娘に同情でタッグに変わる最初のふたり、しかし心の内は娘の心獲得争い、本懐遂げた後の子息侍に雇われると、尾いてく二人。
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 世間や本人らは、ヤマカジに比べると、息合わずらしいが、観客からすると、よっぽど整えられ(前後の移動も異質感や厚み感じさせず)、パワーもスッキリくるエノケン=中川の戦前1本、『~土俵入』。よりタッチ、リズムと角度取りが純化され、カットも限定される、表現の厳しさの中、繰り返しギャグの反復力伸びと粘りが顕著に現れてきてる。面影が後年と変わらない、若き加藤治子の存在感も、主演エノケンに物怖じせず、最初あら繰り返し出てもインパクト薄まらず。橋や櫓の仰角L捉え挿入も本編の透明感にアクセントを付ける。小柄からは想像もつかない驚異のお代わり大飯食らい、左右の女の反対の確認内容に同意繰返し、駆けてって伝えまた戻る無駄な繰返し、らが左右移動延々・パンやカットズレ対応でも延々と度を超えてやられてく、ギャグのトコトンが描きつくされる力が尋常でなくこもる。勝ちを譲るべき庄屋の息子に権威ある相撲の大会でつい、力押さえず勝ってしまい、心ならずもいずらくなった村を出てく主人公。蓄えもなく、空腹限界で、橋から飛び込みを助けられ厚遇を目撃、何回も真似ては飯にありつくも、極限経て体質が極度の大食漢となり、世話になった人の米蔵を空にし続け、悪意なくもオン出され続ける。江戸に入ってやっと相撲部屋に拾われる機会得るも、稽古の方は懸命も即登り詰めとはならない。そうこうするうちに、ライバル部屋に巨漢・強敵が現れ、難題吹っ掛けてくるも、それをはねのける場所中勝利は、部屋の筆頭でも出来ず。ここに身軽な主人公が千秋楽で当てられ、アクロバティックにかわし身を翻し、奇跡の勝利へ。冒頭より、許嫁的親しさで追ってきた、帰れも聞かず陰で見守り続けてた娘が、主人公を相撲部屋に紹介した商家の娘の手で、言われても分からない艶やかさに変身、めあわされる。
 水中潜りのシーンや、取り分け、強敵との取り組みのアクロバティック空中受け身取りらの尽きぬ重ね、早回しも極められ、役者も作者も大向うの手応えへ。役者らの表情らもいい、互いへの気を許したこそのトンマぶりが微笑ましい。
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 断片ならより初期の、映画を制限なく詠わんとしてた作も残ってた。『~終篇』には、3組の男女が絡み、兄の仇・朝香を追い詰める滝太郎に、それは違うと連れだった女が証明、印篭の持主であり、本当の仇である・御用金強奪犯の陣場を共闘し、倒してくクライマックスの場が中心で、与一郎についてとか、複数死者生まれもあったが、深いローからの自然空間構図の切返しから、接近戦の揺れる画面での角度変切替の、それだけで雄大・隙のない、緊迫した場と殺陣だったと思う。
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 それに比べると、その前編『~第ニ篇』は色々巧みも、楽しく映画的趣向に満ちてるも軽め。道中絵での説明の後、四千両後用金を巡り、突き止められた陣場と追い詰めた朝香の、草林を探してく重ねから、対決の横移動カットの連ね、相討ちから崖転落の括りだったか。場面は変わり、江戸からの目明かし志村喬らが、関連事で、「囮か、別か」と侍らを追い詰め、斬り合いに、逆襲にてんで弱い志村の子分ら。軽めも軽快・スマートで既に本格中川編と対照的。
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 中川が助監督を勤めた作まで参考上映、『~祈る』。子ども達に走らせて遊び、絵を描いてやる、温厚な目の悪い戦傷軍人の家を、戦友で同じく目をやられた老人が訪ねきて、口にするを控えてた日露か一次大戦かを回想する。走りを競わされる子供らのフォロー横移動の膨らみ廻るめ収め、どんでんやしなやかパンもらの野外から、語るを抑えてた戦場の回想の、脇役らもしっかり押さえ、長いDIS多用、長いフォローは揺れ動き、黒バックでの鼓舞姿らも、で小隊長同士で競うも悲惨へ、歌とかで括ったか。
 「いつも富士の絵。(英雄だった)戦場の絵を」「描けん、いつか話してやる」「士官学校同期、満州の部下や現地娘」「一番乗りへ、地雷が」「互いの小隊、入り交じる」反戦は明確まではいかずもえん戦大胆自在めに、触れてく。腰の据わりはイマイチも。
 それにしても、中川の作で今さら年間ベストクラスの大傑作には出会うことはないだろう、と思い2、30年、その戦前1本・戦後3本のリストに、2+1本(『伊太~』『金語楼~』『若さま~』)が今さら加わるとは(始めに書いたが他欄で書いた~つつある~)。先輩や同期の、溝口・吐夢・成瀬らの大巨匠には及ばぬも、少し後輩の黒澤や木下・吉村らの名うての話題の的らと改めて完全同列となった。プログラムピクチャーも多いので、巨匠と呼ばれた人らに比べ、アベレージはともかく、この世代にしては残ってる作も多め、しっかりした研究対象となり得る巨人・偉人。















    直後感
■『伊』。男女・軒下・F・高横降りーゆっくり。小変・斜め・縦・もどり。竹転ばし・ネコ・泥川アブク・雨量・暖簾しずく。
恥知らず・グジグジ。セリフ食う速、不機嫌、情景、いきなり奥路地、通り
養子・兄、三味師匠、元やくざ・今も・浪人侍。両替・大名。やくざごり押し。
3'、3965.銀・シュン・いた八、
■『日』。巾着・おかぴき、仇船頭、印籠。多角、F、速ブレ、大L、遅い・侍に、11.
396、船4者、角度、
■『エ。』左右や重ねの走りや渡し戻し、めしや恋文や、戦績関係は、潜って火のみ櫓や顔傾きやアップ、早回し延々半アクロバット、オコンちゃんどこ・帰らず、仇
396.8
■『終』。滝太郎、浅賀さまは与一郎さまの仇では、与一郎さまは貴方、ともに死、
籠男女・追っ手・男女3組、深い掘りロー・切返し・接近せん揺れ切返し・隙なしと雄大、3.71 8’
■『ニ』。道中絵、自然の草林ら行く重ね、横移動カットつづく切り会い、相討ち、「四千両は倒れる貴殿には」/「囮か、別行き、捕らえ聞く、腕立つ侍、江戸の目明かしも」志村、しっか切り会い「成果、獲たもの」369 12
■『祈』。横F周りめ重ね、どんでん、遅れ、パンしなやか、回想、脇者入れ、DIS長も
多、F揺れめ長、黒バック鼓舞、しっか、歌
「違う富士、戦争の絵を」「書けん、話を」「士官学校同期」「一番乗りへ」「地雷」「互いの小隊か」「部下や現地娘、満州」/剥がれ、397 13
3.0
〖1930年代映画:小説実写映画化:時代劇:東宝〗
1938年製作で、長谷川伸の小説を実写映画化の時代劇ロマンスらしい⁉️

2023年1,812本目
軒から滴る雨垂れが美しい。
撮影は玉井正夫。
黒川弥太郎がヤケになって大暴れする最終盤を徐々に引きながら捉えるクレーンショットは、内田吐夢『妖刀物語 花の吉原百人斬り』を思い起こさせる。