次男

メイジーの瞳の次男のレビュー・感想・評価

メイジーの瞳(2012年製作の映画)
4.2
こんな胸糞悪いのってないよ。悔しくて悲しくて、ソファを何度も殴って、歯噛みして、涙が出てきた。綺麗な髪のメイジー。かわいい鼻のメイジー。かわいいメイジー。

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パパもママも、きっと本当にメイジーのことを愛してる。(「本当の愛してる様」の定義はさておかせて。)
はじめは、嘘つき!馬鹿野郎!てめえらに愛なんてねえ!って思ってたけど、いや、きっとパパもママも、マーゴもリンカーンも、メイジーのことを本当に愛してる。

そして、悲しいことに、パパもママも、憎しみが湧いてくるほどド最低でクソでクズだけど、馬鹿じゃないし、無能じゃない。むしろだから、この映画は、絶望的に救いがないんだ。

あなたたちがただの馬鹿なら、こんな簡単なことはないんだ。あなたたちが馬鹿なら、あなたたちの馬鹿を責めて権利を奪い取って、それだって悲しいけど、それで終わるんだ。やめて、潜り抜けないで。そんなに狡猾にメイジーに愛を伝えないで。悔しい、悲しい。なんでそんな、きちんと、平然と、クズなんだ。

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僕は、この映画の先に、夢も希望も光も見出せなかったよ。マーゴとリンカーンが注ぐ愛の行く先だって、決して楽観的じゃない。彼らのせいじゃないよ、世の中の仕組みのせい。先の裁判所のシーンが、頭をうろついて不穏にさせる。
慌ただしくない、安寧とした幸せは、いつメイジーの元に訪れるんだろう。

ママが現れたとき、ママの「誰がママがわかる?」の問いかけに、メイジーが答えたとき、思った、「本当にママってひとりしかいないんだな」。当たり前のことだけど、どんなにどんなでも、悲しいことに、ほんまにママとパパは一人ずつしかおらんのやな。子供の目線やなくて、親の目線で初めてそうわかったよ。もうしっかりと胸に刻むよ。俺が誰かのパパになったら、その子のパパは俺しかおらんのやな。よくわかったよ。よくわかった。

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原題は”what maisie knew”。
途中、原題の通りの仕組みに気付いたとき、ああ、と溜息が出た。劇中、メイジーのいないシーンはない。ここに描かれたことは、すべて「メイジーの知ったこと」だけ。そこに第三者のバイアスはなくて、徹頭徹尾、「メイジーの知ったこと」だけ描かれる。素晴らしい。素晴らしく、悲しい。



リンカーンの作ったかわいいエッグプレート、手をつけないメイジーは言う、「壊したくないの」。
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