いの

ペトラ・フォン・カントの苦い涙のいののレビュー・感想・評価

3.8
ファスビンダーが演劇から映画にいったのか、併走していたのか、ちょっとよくわかっていないのですがとにかく、演劇をよくわかっているファスビンダーが映画界に喧嘩売った作品のように感じました。オラオラオラオラ、どうだー凄いだろー(きっとわたしの思い込み)(ひょっとしたらカサヴェテスからも影響を受けたのかなという気もするけれど、自分の予感があたっているのかどうかもわかってません)


演劇なら、例えば3人が舞台の上にいたとして、照明によって舞台にはひとりしかいないように見えたり2人だけのように見えたり、そこに突然3人になったり。あるいは、照明によって壁の絵画に急にスポットライトが当たったりして、観客の視線を誘導する。


今作ではそれを照明じゃなくて、カメラの動きによって、演劇に似たかたちで観る者の視線を誘導。ペトラ・フォン・カントと、彼女が惚れ込んだカリン2人だけの世界のように見えても、急にその間にマルレーネが映像として立ち上がってきたり、ペトラとマルレーネが背中合わせで2人だけの世界に見えたり、大きな絵画が急に主役になったり、その絵画の中心人物である男性のソレに急に焦点があたったり。マネキン数体は無言なはずなのに雄弁に語っている。


男性に所有されるのがイヤになったというペトラ・フォン・カントは、若い女の子カリンを所有しようとする。依存のように。母も娘も友人も来てくれているのに、そんなこたお構いなく取り乱す彼女は、ヤク断ちに苦しむ姿のようにもみえる。傍目からすれば、それはどこか滑稽でもあるけど、でも、母や娘や友人の前で醜態をさらせるペトラ・フォン・カントは、ある意味幸せじゃないかとも思えてきた。


カリンの発展系がマリア・ブラウンですね、きっと。どちらも演じるのがハンナ・シグラということだけじゃなく。カリンの持つ魅力をもっと追求していけばマリア・ブラウンになる。ファスビンダーは、自分自身をペトラ・フォン・カントに、自分が惚れた相手をカリンに、そして自分の女友達(盟友)をマルレーネにあてたように感じます。そして、冒頭のクレジットに明記されてたけど、今作をマルレーネに捧げているのがとても良いと思う。マルレーネはペトラ・フォン・カントみたいに泣きわめいたり怒鳴ったり取り乱したりしないで、ある意味、ひとりでヤク断ちできたのだと思う。どうしたってそっちの方が格好いい


女性6名だけが登場する映画。1972年製作ということだけど、それは当時としたら(もしかしたら今でも)とても稀有なこと?(だけど、ちゃっかりファスビンダーは、新聞記事の写真のなかで登場する。それはちょっと笑える。さすがです!)
いの

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