サマセット7

静かなる叫びのサマセット7のレビュー・感想・評価

静かなる叫び(2009年製作の映画)
4.1
2009年のカナダ映画。
監督は「メッセージ」「ブレードランナー2049」のドゥニ・ヴィルヌーブ。
主演はカナダの女優カリーヌ・ヴァナッス。

1989年12月6日、カナダのケベック州モントリオールのモントリオール理工科大学にて。
自動小銃を持った男性が侵入し、学内の女性のみを標的に女性14名を殺害、14人に怪我を負わせた。
本作は、同事件をモチーフに、犯人の男性、被害者の女子学生ヴァレリー(ヴァナッス)、現場に居合わせた男子学生ジャン=フランソワの各視点を通じて、忌まわしい銃乱射事件の顛末とその後を描いた社会派作品である。

全編フランス語、モノクロ映像、実在の銃乱射事件を題材とした社会派作品とあって、日本国内での劇場公開は見送られていたが、ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の評価の高まりと共に、2017年、ようやく劇場公開に至った作品。
同監督の3作品目の長編映画になる。
カナダにおけるアカデミー賞に相当するジニー賞を9部門獲得。これは当時歴代最多記録。
評論家を中心に、それなりに高い評価を得ている。
現時点では、やはり、ドゥニ・ヴィルヌーブの過去作、という観られ方が多いのではないか。

ドゥニ・ヴィルヌーブ監督は、近年では「メッセージ」といった著名なSF小説の映像化や、「ブレードランナー2049」といった伝説的SF映画の続編の監督に抜擢された俊英。
それ以前にも、「灼熱の魂」「プリズナーズ」「複製された男」「ボーダーライン」といったクライム・サスペンスやミステリー系の作品で、高い評価を受け続けている、10年代の傑作請負人である。
作風としては、セリフではなく、映像で物語を紡ぐことへの拘り、精緻に計算されたカメラワーク、空間を活かした美しく雄弁な映像、抑制の効いた効果的な演出や音響、作中で、観客に世界の真の姿を見せつけることへの情熱などが挙げられようか。
キャリアの初期作である今作にも、これらの作風は表現されている。

今作は架空の人物を描いているとはいえ、実在の悲惨極まりない事件を題材とした映像化作品であり、エンタメとして安易に消費される類の作品ではない。
観るものには、一定のトラウマが植え付けられることが、半ば期待されている。
それゆえ、とても他人に勧め辛い作品である。
私は観ていて、映像で殴りつけられているような気分になった。

今作の巧妙かつ悪辣な点は、3人の視点を用いた語り口であり、その結果、時系列が前後する場面が多い点にある。
そのため、観客は、すでに終わったと思った事件がフラッシュバックするような感覚を味わう。
心中、もうやめてくれ!と思わずにいられない。

映像で物語を紡ぐ監督の志向は、序盤にいきなり見せつけられる。
冒頭、犯人の歪んだ考えがモノローグで語られる。
女性の進出を男性の権利の侵害と批判する言葉は、ひたすら観念的で、空虚だ。
カメラは、淡々と男の佇まいを追うが、そこには、男の虚しい言葉などよりはるかに雄弁に、男の孤独と絶望が映り込む。

一転、被害者となるヴァレリーに視点が移った後の描写はさらに秀逸。
インターン採用の試験を受けに学内の廊下を歩くヴァレリーと友人のステファニー。
廊下にいるのは、全て男性だ。
その、無言の威圧感。
真っ直ぐに前進することもままならない。
値踏みするような視線。
女性の生き辛さが、セリフなく、映像のみで表現される。
インターンの採用面接の顛末は、ダメ押しする。
女性である、それだけの理由で、当然のように不利益を受ける不条理。
犯人の男の狂った決めつけが、悍ましい誤認であることが、ヴァレリーとの対照によって明確になる。

こうした言葉によらず映像に語らせる演出は、今作で頻出する。
色彩まで引き算したかのようなモノクロ映像。
極力セリフを排した演出。
犯人の目にクローズアップする、ヒッチコックのサイコを思わせるカメラワーク。
学内に侵入した男の、たくさん周りに人がいるにも関わらず、どうしようもなく寄る辺ない孤絶感。
後の惨劇を象徴するような、絵画や講義の内容。
非現実的な惨劇が、いかに日常と地続きに、突如として行われたかを示す、いくつかの描写。
広い雪原にぽつんと映る、孤立した人影…。

映像の没入感が高い故に、殺戮の無惨さや事件に関わってしまった人々を襲う衝撃は目を覆わんばかり。
ひたすら、ショッキングで酷いシーンが続く。
他人におすすめできない所以である。

事件終盤、ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の真骨頂というべき印象的なカットが2つ入る。
いずれも2人の人物が床に倒れている構図なのだが、悲惨と憤りの極地に至って、どこか美しくすらあるカットに、複雑な感慨を抱かざるを得ない。

今作のテーマは、不条理な暴力のもたらす結果の悲惨さはもちろんのこと、女性が女性であるだけの理由で殺害されたことの不条理さ、そして、事件の風化を許さないことそのものにあろう。

犯人の男性の犯行に至る背景は、今作中では、冒頭の反フェミニズムを標榜し、フェミニストを誅殺することを謳った手記のモノローグを除き、ほとんど描かれない。
そのことが一層、観客に理不尽な感覚を与える。
ひょっとすると、説明不足と断じる方もいるかも知れない。
おそらく、観客に安易な納得を与えず、なぜ?と考えさせることが、製作者の狙いではないか。
いずれにせよ、男性優位の社会構造、その是正に対する偏見、男性側の捩れた被害者意識に対する辛辣な批評的なメッセージが、今作には込められていよう、

一部の被害者の事件後の人生の描写については、評価が分かれるかも知れない。
実在の事件ゆえの限界はあろう。
私はこれ以外にないと思ったが。

トラウマ映画と呼ぶのがふさわしい、俊英監督のキャリア初期の意欲作。
シンプルだが、監督の才能が明らかに伝わる。
ただし、人には安易に勧め辛い。
そんな作品である。