Mikiyoshi1986

ドリーマーズのMikiyoshi1986のレビュー・感想・評価

ドリーマーズ(2003年製作の映画)
4.0
本日3月16日はイタリアの巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督のお誕生日です!
祝・喜寿!

ゴダール『勝手にしやがれ』を筆頭に、隣国フランスから押し寄せたヌーヴェルヴァーグの衝撃により映画監督を志すに至ったベルトルッチ。
彼はその影響を色濃く反映させた自伝的作品『革命前夜』を若くして発表しますが、
その40年後には本作『THE DREAMERS』にてフランス五月革命前夜の映画狂(シネフィル)たちを描きました。

舞台となる1968年の春はフランスのシネマテークが政府に抑圧され、それに対抗する大規模デモが巻き起こり、
トリュフォーやゴダールたちは抗議の一環でカンヌ映画祭を中止に追いやり、
その余波が着々と五月革命へ繋がってゆく過渡期にありました。

そこにシネフィルのアメリカ人留学生マシューが、映画を通し双子の姉弟と親密になることで展開してゆく青春ドラマ。
原作者である英国作家ギルバート・アデアが描いた姉弟の近親相姦めいた要素は、コクトー『恐るべき子供たち』へのオマージュが根底にうかがえます。

しかしこの映画で最も重要なのは、この姉弟が「一卵性双生児」だという点。
一卵性から生まれる双子は同性のみであり、男女の双子であればまず二卵性が絶対です。
一卵性双生児の男女とは未だ世界でも2、3件しか報告されていない極少事例であり、
つまり彼らは学術面から考えても「まずあり得ない」存在なのです。
しかし、二人にはまるで生物的繋がりを象徴するアイコンかのように同じアザが遺されています。
だとすると、彼らの存在とは一体何なのか?

それはシネフィルの孤独な留学生マシューが、憧れの地パリで作り上げたまったく別の人格ではないかという考察。
事実、ベルトルッチは初期作品『ベルトルッチの分身』でも二重人格を扱っていたり。
冒頭「スクリーンの真正面を陣取る」なるマシューのモノローグ中、その場所にはテオとイザベルが鎮座し、実際のマシューは少し後列の外れに座っています。

そして彼らが出会った翌朝、マシューの部屋の机にはある雑誌が意味深に配置されているのです。
その表紙を飾るスチール写真こそ、人間の二面性を描いたベルイマン監督作品『仮面ペルソナ』の女性二人。

また弟テオのキャラクターは『革命前夜』の主人公と極めて類似しており、
テオの父親が有名な詩人というブルジョワ設定も、実際にベルトルッチの父親がイタリアを代表する高名な詩人だった事実と通じます。
テオは謂わば若き"ベルトルッチの分身"でもあり「もし俺がフランス人として生を受けていたなら…」という、ある種の願望がその人格を形成していそうです。


一方マシューが恋したイザベルは、自己紹介シーンで「1959年シャンゼリゼの舗道で生を受けた…最初に発した言葉を?ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン!」と述べます。
これこそ若きベルトルッチを映画の世界へ引き込んだ『勝手にしやがれ』の正体であり、
彼女は全編を通して魅惑的なヌーヴェルヴァーグ理想の女性像を担うのです。

またイザベルを演じたエヴァ・グリーンは、かつてのジャンヌ・モローの様な気だるいエロスとミステリアスな雰囲気も総括していたり。
イザベルがテオとの関係を「お互い一目惚れ」と言及するシーンからも、"一卵性双生児"とはベルトルッチとヌーヴェルヴァーグの強い絆を象徴するメタファに相当するのかもと。

そして肝心の主人公マシューは、当時フランスとヌーヴェルヴァーグの転換期を本国イタリアから傍観することしか出来なかったベルトルッチの、「トラベラー」としてのもう一つの妄想が介在しているようにも思えます。

本作はベルトルッチの個人的な映画愛がペルソナ化し、長年の願望を色濃く投影した記念碑的作品と云えるのかも知れません。
Mikiyoshi1986

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