公開時期に、二番館か三番館で観たんです。早稲田松竹だったような。一人じゃなくて、堀合くんと一緒だったような。併映はなんだったかな。なんであれ、観たのはこれだけだったと思う。上映前に二人で道中のパスタ屋に入った気がする。ミートソースだかナポリタンだか、とにかく赤いパスタだったような。僕は、大層面白くて、すごく興奮していて。彼はなんて言ってたかな、彼もおもしろいと言っていたような、そもそも一緒だったかも不確かなのだけど。断片的な記憶だけが散らかってる。
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当時、観終わって「傑作だ!」と喜んでいたけど、世間の評判は芳しくなく、この映画レビューアプリでも点数は低くて。あれ、面白かったと思うんだけどなあ、って思い出そうとするけど、残念ながら内容をあまり覚えていない。5年も経つとすっかり忘れてしまうものだ。
この度、5年ぶりに鑑賞してみて、なんだか僕自身がもう、トランスだった。断片的に映像を覚えてる。「あ、知ってる、なにかを思い出しそう」、閉じ込めてた記憶に映像がぶつかる度音を出して、それに紐付いて作品のストーリーも少しずつ思い出して、でもそれを待たずに映画は進み、画面は混乱して、もうコンフューズ!コンフューズ!
メタ的というか、ちょっとなかなかできない鑑賞体験だった。
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これは考えすぎかもしれないけど…。
この映画、あらゆる表現が「強い」。大げさっていうより、強い。映像のインパクト、迫り来る音楽、キーワードにキーアイテム。オーバーだ、やりすぎだと非難できるくらいに、強い。
そんなふうに要素たちが強いからこそ、がつんがつんと秘めた記憶にぶつかってこれるのでは。脳内に断片的に残るように作られたのでは。むしろ、「ほとんど忘れた状態でもう一度観る」っていう今回の鑑賞の仕方こそ、ダニーボイルの仕掛けた真の「トランス」なのではないかな。
なんて、きっと考えすぎだろうけど、そう信じられるくらい、脳内はぐちゃぐちゃに楽しかった。
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そういう意味で、内容についてメモしておくのはやめておこう。あれやこれやと委細を書いてしまったら、忘れるのに5年以上かかってしまうかもしれない。また僕はこんな感じで楽しみたいのだ。