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インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌の&yのレビュー・感想・評価

5.0
【2014/6/14:シャンテ】
Benny Singsの「Art」のじゃん!て思った人どのくらいいるんだろう。そんな気軽さで観たら、生涯ベスト級痛切モノだった。生きることってほんとに厄介。
ルーウィンはたいした努力もしてないくせしてプライドだけは人一倍だし、どうなりたいかっていうビジョンがあるとも思えずそもそも「夢を追っている」と言えるのかどうかも疑問。ダメ男。
でも。自分の音楽に誇りをもってて、その筋の人には実力を認められ、クラブでは聴衆の胸をも打ってるのに、時代との齟齬で報われない、「上手いけど金の匂いはしない」って、じゃあどうしたらいいの…。演ってる音楽がダメなら考えようもあるけど、ルーウィンのはそうじゃないから捨てることだって難しい。苦しすぎる。
「“生活”といううすのろがいなければ」って佐野元春のフレーズだったっけ。生活とは厄介なもんであいつさえいなければ、ってのは別にロックもフォークも演ってないわたしにだって身に憶えあるフレーズである。
しかしながら今作のルーウィンへの視座はもっと冷静で、哀れみや共感よりももう少し遠巻きな場所に置かれているから、却ってこちらの心を掻き毟る。所詮は「名もなき男」の話なのだ。(観るまでダセーサブタイトルつけたわねーと思ったけど、観て納得。)
ルーウィンが手を焼く猫は、気を抜くとすぐに離れてしまう音楽や切りたくても切れない生活の象徴で、つまり依存しながらだらしなく生きるルーウィン自身の投影である。それを「Llewyn is the cat(ルーウィンは猫である)?」なんて聞き間違い台詞で軽く示しちゃうあたりの巧さ。ちょっとした誤解が真実を突いちゃうことってあるよね。
そんな猫を抱え、どん詰まりを具象化したような部屋を点々とし、ガールフレンドには罵倒され(キャリー・マリガン最高、マジ爆笑)、昔の女とその子供が住んでる街の名を一瞥する。生きるってことは雪道を歩くように厄介で、ぐっしょり濡れてしまった靴下はなかなか乾かないものだ。ここで描かれる一週間は彼の人生そのもの。ちょっとした幸せが訪れるような人生の歯車から微妙にずれてしまった、彼のループ。
そんなこんなに説得力を持たせるオスカー・アイザックの歌と演奏はホント素晴らしかった。「プリーズ・ミスター・ケネディ」のときのしょっぱい表情も。彼が歌う最後のシーンで途中から字幕がでなくなったのは、演出上の意図かどうかは⁇?だが、字幕を排することで彼の歌がストレートに強く入り込んできて良かった。「SHAME」とはまた違ったキャリー・マリガンの歌も素晴らしい。
新しい時代を示唆するボブ・ディランの登場にはポジティブさを見出せないこともない。でもわたしは、そんな容易にルーウィンをポジティブへと浄化してしまうことがちょっと酷に思えた。だって彼は音楽史的には重要シーンにいたかも知れないけど、結局は「“生活”といううすのろ」に振り回される「名もなき男」のひとりに過ぎず、そんな男はきっと他にもいっぱいいただろうから。ここの解釈は観る人によってけっこう違いそう。何れにせよ味わい深いです。

ネタ元であるデイヴ・ヴァン・ロンクの自伝と「ユリシーズ」を読みたくなった。サントラも欲しい。2回観たけどもう1回くらい観たいかも。この作品の中みたいな、薄曇りの夜にでも。最高。
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