猫マッチョ

サミュエル・L・ジャクソン in ザ・チャンプ 伝説のファイターの猫マッチョのレビュー・感想・評価

5.0
2023年度お気に入り名作映画

この映画は『チャンプ(1979)』の否定映画なんだ。つまり、羨望するがチャンピオンになれない親たちに向けた映画。
一文で書くと『親ガチャの答え』がある映画。

このチャンプ&ファイターは比喩であって、映画内では地位と名声を手に入れたコメンテーターの父親を表している。ゲストのサミュエルジャクソンだけを差しているわけでは無い。

だいたい親ガチャの主張する人は2種類しかいないじゃないか。
「親ガチャなんてない!努力不足!親には感謝してる。人生の逆転には勉強だよ。」
⦅さて、この言葉を言ったから満足だ。親の介護?世継ぎ?資金援助?するわけねーだろ。金を吸えるだけ吸い取って努力して幸せに仕事と旅行行事イベントと飲み会(ランチ)するのが親の幸せだろう。⦆

親ガチャ否定する人は自分の子供を、未来に産む子供を、毎日と顔面腫れあがるように殴れるだろう?
だって、親ガチャが無いのは全員に適用されないと論理として破綻してる。

「すべての事柄は親ガチャがすべて。偉そうに言う人間は恵まれていていいな。」
⦅だから、能力も交友関係も無いのは自分の責任ではないよね。良い家に産まれていたら全て手に入ったのにな。頭も体も思い出も悪い責任は親なんだから、社会も会社も親も自分に気使うべきなんだ。成功者が努力して10手に入れても、こちらは3しか手に入らないから努力しても無駄やん。⦆

他人に甘えや許しを求めるなら、自分より親ガチャ外れの人間を自分が何故に甘やかさないのか?何で自分自身の親ガチャが最底辺だと思うのか。文句を言ったところで解決するわけではないのに。自分の走馬灯の時に親ガチャの文句しか言ってない人生しか見えないのにな。


つまり親ガチャという考え自体が間違いなんだ。
『子供とは親を超えることに存在意義がある。』自分と同年代を比べる前に親と比べるんだよ。
親が自分を産んだ年齢になっておきながら結婚すらしてないクズは存在価値が無いのだ。

しかし、この映画では『親と同じ要素で超えるのではなくて別の何かを超えるのだ。』とのテーマがある。


主人公の父親は誰もが尊敬するエンターコメンテーターであったからこそ、主人公の人生の目標にしてしまっている。自分の息子に同じ想いを、尊敬の目を望んだ主人公が、父親の偉大さを子供に求めるのではなく、子供に真っ直ぐ向き合うことを選んだのだ。たとえ名声のパラメーターが低くても別のパラメーターで親を超えれば良いんだ。
つまり、子供から尊敬されるのではなく信頼される道を選んだのだ。


この映画の主人公は親ガチャ当たりの部類だと思う。親のコネで就職してる感があるし、金に不自由してる感もない。嫁も子供もある。しかし、悩みがある。
子供から尊敬も信頼も得らえれば良いと考える欲張りもいるが、完ぺきな人間がいないように完璧な家庭もない。どの家庭も人間も何かを欠如していて、何か特筆しているから悩みも自信もあるんだ。


他の現実の親子にも適用できる。
親よりも稼げないが、多くの人から感謝される仕事をする、でも良い。
親よりも安定はしてない家庭だが、多くの人に触れ合える家族でいる、でも良い。
子供は産んでないが、親以上の友人の多さで充実している、でも良い。
子供に大金をかけて贅沢させたいが、家族団欒の時間を増やして温かい家庭にする、でも良い。

そして、どのパラメーターか分からないが次世代が今の世代を超えてより良いパラメーターの世代が後々に誕生していくんだ。
Take It Easy。
猫マッチョ

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