猫マッチョ

湖の琴の猫マッチョのレビュー・感想・評価

湖の琴(1966年製作の映画)
5.0
2023年度お気に入り映画館(名画座)賞

この映画はおそらく、明確に提言されていないが、女性の性的に熟された16〜26歳の10年間の出来事を佐久間良子が物語っているのだろう。
丁稚奉公している時は16〜25歳、女郎買いされて京都へ行く時は26歳だと推測する。
だいたい、25歳になるまで粛々と無経験で生きてきた女に芸事の才能なんてあるわけ無いだろう。あっても繊維の技術と女の身体としての評価だけ。


この映画は前半では9年間の出来事を、後半では1年間の出来事を映画の上映時間内に当てはめているため、演出が変わっている。

前半の丁稚奉公の場面では繊維工業の職人芸を身に付けようと日々鍛錬している。毎日が同じ出来事なので月日が流れる早さの演出が凝っている。
ワキが蒸れるわって言った次の場面では稲穂が風に吹かれてなびく場面になってと、季節の転換の早さの演出が上手い。会話が終われば次の季節、川沿いを歩き終われば次の季節、と四季の16ビートを奏でている。

時間と出来事の強弱こそ映画芸術の一つの表現方法だと思う。この映画の演出は日本に四季があるからこそ時間のスピードの、文字通りの『あっという間』を映像で魅せてくれている。


後半では三味線の師匠の横恋慕が良い味を出している。妾を買ったはずなのに、自分の内面にこそ才能があると信じている佐久間良子を文字通り飼っている。
ムラサキを奏でる、なんて言い掛かり以外の何物でもないやろ。他にもネチっとした師匠の建前の口出したる邪魔が佐久間良子の日常生活を脅かす。
そして、その二人の思い違いが摩擦となって悲劇をうむ。

この場合はハッキリ交渉すると良いのかな?
お前の三味線なんて聞いて金払う人間いないんだから、金を産めるようになるまでは師匠の慰安をするんだぞ。飼われてるんだから。田舎でヌクヌク育ったお前に慰安する技術がないなら股でも開けよ。
なんて言えないからこそ、芸能でも私生活が変わらないと考えが浅かった佐久間良子の悲劇が待ち構えている。
というより、爺さんから性被害を受けただけで壊れる心なら、芸事を続けたとしてもいずれ壊れるのにな。


どちらが女としての幸せだったのだろうか。

丁稚奉公をして、浮き沈みが無い、淡々と粛々とした生活だが、周囲から守られている生活。
都へ赴き、本音と建前の泥沼で腹の探り合いだが、虚栄心と猜疑心にまみれた毎日がスペシャルな生活。

安全と不満、愉快と不安の違いだろうが、心はもともと不安定なものだからな。
猫マッチョ

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