マルメラ

フルートベール駅でのマルメラのレビュー・感想・評価

フルートベール駅で(2013年製作の映画)
4.0

この映画を作ろうと思ったきっかけは何だったんでしょうか?という問いかけにライアン・クーグラーはこう答えている。

『僕を駆り立てさせたのは事件そのものとその余波だった。(事件の)ニュース映像を見てすごく心動かされた。オスカーは僕であってもおかしくなかったと思ったんだ。年も同じぐらいだったし、彼の友人たちは僕の友人たちと似ていたし、こんなことが(地元でもある)サンフランシスコのベイエリアで起こったことに大きなショックを受けた。
 そして、裁判の間、状況が政治化するのを目の当たりにした。その人の政治的な立ち位置によって、オスカーは彼の生涯のなかで何ひとつ悪いことをしていない聖人か、又は受けるべき報いをあの晩受けた悪党かのどちらかに分かれた。その過程で、オスカーの人間性が失われてしまったように感じたんだ。亡くなったのが誰であろうと、悲劇の真髄は、その人ともっとも近しかった人々にとってその人がどういう人だったのかというところにあるのに。
 映像、裁判、そしてその余波は僕をとてつもない無力感に陥らせた。ベイエリアコミュニティの人の多くが抗議活動に、そしてその他の人々も集会やデモに参加した。また、自暴自棄からの暴動もたくさん起きた。僕も状況を変えるために何かしたいと思って、映画を通してこの話に命を吹き込み、オスカーのような人物と観客とが一緒に時間を過ごす機会を作れれば、このような出来事が再び起こるのを減らせるかもしれないと思ったんだ。』
http://www.moviecollection.jp/interview_new/detail.html?id=299
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悲しくも公開の3年後。
また、白人警官による黒人の射殺事件が起きてしまいました。

この映画は人種差別には着目していない。
あくまでもオスカーという22歳の青年に焦点を当てている。
家族がいて、娘がいて、仲間がいて、だけど仕事はない。
元麻薬の売人で服役もしていた。
それでも彼は家族のために、前を向いて、正しい道を進もうとしていた矢先の出来事だった。

日本人である自分には警官による暴行や、人種差別はピンと来ない。
ただ、この映画で描かれているオスカーのという人間には共感できると思う。
家族を愛し、仲間を愛し、他人に優しい。
自分ではなくても、彼のような人が友達にいるはずだ。

この映画は、商業映画の法則には従っていない。
主人公の目的とか、成長とか、葛藤とか。
そういったものは描いていない。

厳密に言うなら、彼の目的はただ1つ。
家族と過ごし、家族を愛し、家族を守る。
その普遍的な目的だからこそ、わざわざ映画内で他の目的を与える必要がなかったんだと思う。

そして、悲しいことにこの映画は主人公の死というゴールへ向かって進んでいく。
それが不謹慎にもこの映画に緊張感を与えている。
電車が発車する。
フルートベール駅で降りる。
あっ!もうすぐ死んでしまう!
新年のカウントダウンのように、観客だけが彼の死へのカウントダウンに気づいている。

この緊張感によって、どこにでもいる青年が過ごした何てこと無い大晦日の1日を描いた映画として成立させている。
また、何てこと無い1日が実はとても大事な1日であったことに気づかされる。
それは、明日死ぬかもしれない私達にとっての今日かもしれない。

この映画から学ぶことは多く、またオスカーから学ぶことも多い。

良い映画でした。
というより、フルートベール駅で起きた事件を知れてよかった。
オスカーを知れてよかった。
そんな印象。
マルメラ

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