オレンジマン

おやすみなさいを言いたくてのオレンジマンのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

まず初まりで心は掴まれた。暗闇に入り込む光、そしてその光はレベッカの眼にあたる。これはおそらくカメラというものの本質を表してるんだと思う。最初のカメラ=カメラ・オブスクラからファインダーで覗くカメラへ、この流れというか原理が最初何気ない形で表現されていてとても良かった。
もちろんその後の自爆テロの前の儀式的な行為、そして爆発と緊張感と驚きのある良い最初の10分だったと思う。
しかし、そのあと失速する。レベッカは家庭を気にする女になっているが、客観的に見てどう考えても母親ではないし、気持ちも何もかも紛争地とカメラと写真にある。これで家庭と仕事の板挟みとか言われてもな〜という感じがした。
さらに他の登場人物も皆気が弱いのか良い人なのか、イマイチ本当のこと言わないし、距離を縮めるような(あるいは最初から距離などないような)素振りで接する。最初の自爆テロで見せたような緊張感と洗練された感じはどこへ行ったのかと中盤は少しガッカリした様子で見ていた。
しかし、ケニアから帰り、家族がレベッカに本当のことを言い出し、避け出すと「お、いい感じじゃん」となり、長女がレベッカに向けてシャッターをきりまくるところでこの映画の1つ目の主題がようやく表れはじめる。それは撮る/撮られるの問題で、これは長女のスピーチでも述べられていたからおそらく監督の伝えたかったことなのだと思う。
さらに、レベッカが家族と別れ仕事に戻り、「やっぱり写真なんだね。じゃあもう少し母親らしくしないと、これじゃあ当然の帰結じゃん」と思っていた矢先に最後の最後でやられた。
最後、レベッカが少女の自爆テロの写真を撮れなかったのは自分の娘の姿と重なったからではきっとなく、レベッカが本当の意味で母親になったから、しかもそれは長女のスピーチの通りに「世界中の紛争地の子供」の母親なのである。
彼女はそれまで自分の心の中にある怒りに任せてとっていたが、この時ようやく被写体になる子供の気持ち=恐怖がわかってしまう(これは実は長女はすでにケニアでやっている)。この瞬間に紛争地の報道カメラマンとしてのレベッカは死に、母親としてのレベッカが生まれたという結末だと僕は思っている。
そうなると、中盤歯がゆい気持ちがしたレベッカの母親でなさというのも生きてくる。最後の最後で初めてレベッカは母親になるというプロットだったのかと思い、それまでの悪い印象が吹き飛んだ。
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