ずどこんちょ

アーロと少年のずどこんちょのレビュー・感想・評価

アーロと少年(2015年製作の映画)
3.6
ピクサーは"人間"を描くのが本当に上手いと改めて思いました。
誰しも経験のあるヒューマンドラマを時にオモチャにしたり、時に魚にしたり、時にスポーツカーにしたり、時に頭の中の感情そのものを描いたり。
本作は遥か昔、隕石が衝突せずに恐竜が繁栄し続けた世界線の恐竜と、言語を持たずに進化しなかった人間の少年との出会いを描いています。

農地を開拓し、自給自足の日々を過ごす恐竜一家。家族の中でも最も臆病なアーロはある日、父から食糧庫から食糧を奪っている泥棒を捕まえるよう指示を受けます。兄弟たちと同じように自分も認められ、父親のように勇敢な恐竜になりたいと願うアーロは泥棒が来るのを待ち伏せしていましたが、罠にかかったのは人間の子供でした。
アーロは少年を仕留められず、ムキになった父親はアーロを連れて逃げていく少年を追いかけていきます。どんどんと天気の悪化する山奥へと進んでいく父を必死に追いかけるアーロ。
引き返そうとしたその時、山から流れてきた鉄砲水に飲み込まれ、父は亡くなってしまったのです。

人間に置き換えたら、とても重たいドラマです。目の前で天災によって父を亡くしてしまったアーロ。しかもその背景として、父はアーロに恐怖を克服させようとしていました。自分のために無謀なことに挑んだ父が自分の命を救って身代わりとなって流れていったのです。
最後に息子の目をしっかり見ながら濁流に飲み込まれていくシーンが、恐竜だと分かっていても辛いです。

父がいなくなり、残された家族で収穫物を刈り取っていました。そんなある日、アーロは再びあの少年を見つけます。
父を死に追いやった憎き敵と、アーロは少年を追いかけますが、今度はアーロが川に落ちて流されてしまい、気付けば家から遠く離れた地へと辿り着いてしまうのです。
家のあるギザギザ山を目指してアーロは進みますが、食べ物の確保など道中のピンチを助けてくれたのは、サバイバル術を知る少年だったのです。

とにかく自然風景の描写が美しく、山の木々や川、土、空や陽の光など、アニメとは思えないリアルな美しさです。
雄大な自然風景が実写よりも美しいと思えるほどです。

そんな大自然の中でアーロと少年スポットはギザギザ山を目指して旅を進めます。
始めのうちは父を死に追いやった"敵"だったスポットですが、共に旅を続けていく中で次第に心を通わせていきます。

特にお互いの身の上話を打ち明け合った夜は切なかったです。言葉が通じないアーロとスポットが、枝と砂を使って家族のことを紹介します。アーロが父が死んだことを打ち明けると、実はスポットもまた両親が死んで孤独であることが判明するのです。
比較するものではありませんが、片親のアーロの悲しみよりも辛いはずの両親の死。アーロはその時、スポットの抱える傷みと強さに気付いたに違いありません。
埋められない寂しさを抱えた二人が心を通わせ、アーロの悲しみをスポットがなぐさめてくれた夜。切なくて涙が出ます。

この旅にはもう一つ大きなテーマがあります。
それは、「恐怖を乗り越える」ということ。小さくて意気地なしだったアーロが父に憧れていたのは父の勇敢さでした。勇気を持って立派になれば、兄弟のように足型の印をつけることができます。
亡くなる前、父はアーロに教えてくれました。「怖さを乗り越えることで初めて見える景色がある」と。父が無謀を承知で山奥に踏み入ったのもそれを教えたかったからです。

旅の道中、アーロはティラノサウルス一家に出会います。その中の一番ドッシリ構えている親父にアーロがどうして怖くないのかと尋ねると、彼は答えます。
怖いから闘うのだ。怖さを感じないやつは生き残れない。怖さを受け入れて乗り越えていくのだ、と。
恐怖や不安に怯えるアーロに響く真理でした。怖さを感じることは当たり前のことです。生きているのだから死や何かを失うことが怖くないはずがない。
怖くても怯えているだけなら奪われてしまいます。怖さを感じることに引け目を感じる必要も抵抗する必要もありません。
アーロの父や、ティラノの親父が教えてくれたことは、怖さを受け入れて乗り越えた先にある世界なのです。

恐竜が文明を築く世界線ですが、くさってもそこは原始的な世界です。
命のやり取りを描いた描写が多い。生きた虫を食べたりと若干の気持ち悪さを感じる描写もあります。また、本作のヴィランズに当たる翼竜のイナズマドカンは小動物を餌にして食べています。
イナズマドカンが狙っているのはスポットです。彼らにとってスポットは餌なのです。
スポットを餌として見る翼竜に対して、今ではアーロはスポットのことを"友達"と感じています。最初の出会いは"敵"だったので大きな変化です。
そして、アーロは翼竜に襲われて濁流に取り残されたスポットを助けるために怖さを受け入れて立ち向かうのです。

やがてギザギザ山に到着する直前、もう一つのドラマが生まれます。
山に近付いたある時、スポットは自分と同じ人間の姿を遠くに見つけるのです。しかしアーロはそんなスポットを背中に乗せて先を急ぎます。彼を自分から離したくなかった。
ところがギザギザ山の直前で、再びスポットは他の人間に出会うのです。しかも、その人間は家族連れでした。スポットの埋められない寂しさを埋めてくれるかもしれない居場所が目の前に現れた時、アーロはスポットとの別れを決意します。
彼の幸せと、彼の望みを尊重し、スポットを新しい家族の元へと差し出すのです。

切ないシーンなのですが、この二人は永遠の別れになったわけではないと感じます。
住む場所は近いし、何よりスポットは元々食糧泥棒だったのだからアーロの家を知っています。住む場所は違っても、きっとまた会おうと思えば会えるはずです。
その先は描かれませんでしたが、ようやく家に辿り着いたアーロは、いつか家族にもスポットのことを紹介するのではないだろうかと感じました。

幻覚が見える果実を食べた後のあのシーンはなかなかのインパクト。
まだ笑えるけど、あまりにも幻覚の感じがリアルすぎて体験者なんじゃないかと、笑えなくなる一歩手前ぐらいの際どいジョークじゃなかったでしょうか。