ずどこんちょ

裏窓のずどこんちょのレビュー・感想・評価

裏窓(1954年製作の映画)
3.7
ヒッチコック監督による一風変わったミステリーでした。
主人公のジェフは骨折中の写真家です。自宅から一歩も動けないままおよそ6週間が経過しています。
ギプスで動けないジェフは窓の外からご近所の様子を眺めることで退屈しのぎをしていました。
本作のおもしろい点の一つはずっと窓の向こうの住民たちが生活していることです。ジェフと恋人のリザが会話している向こう側で、向かいのマンションの住民が会話をしていたり、くつろいだりしているのが映ります。
実際に窓から見える向かいのアパートの景色はセットであるそうで、まるで大きな舞台演劇を見ているかのようです。

ピアノを弾いている作曲家、互いに隠し事をしているらしい熟年夫婦、朝から下着姿でダンスする若い女性、愛を求める孤独な中年女性……。

そして、この穏やかな日常に日突然、事件が起こるのです。
夜中に女性の悲鳴。うとうとしていたジェフも目を覚まして、窓の外を見ます。
どうやらいつも言い争いの耐えなかった熟年夫婦の部屋で何かが起きた様子です。
その後、大きなカバンを持って真夜中に3回も自宅を出入りする夫。翌朝から姿が見えなくなる歪みあっていた妻。新聞紙に包むノコギリ包丁、そして運び出される大荷物。
まるで妻は殺され、死体はバラバラに切断されて運び出されたかのよう。

窓の向こうの住民たちは何やらそれぞれにストーリーを持って動いています。詳しい会話までは聞こえませんが、住民たちは確かに生きていて、そこにもドラマがあるのです。あくまでジェフ目線の推測的なドラマであることが肝心です。
「覗き」がスリリングで興味深くなってしまうのは、何が起きているのか分からない群像劇に自分なりのストーリーを持たせることができるからでしょう。
想像力が掻き立てられるからです。

ジェフが目にした一連の夫の動きは不審な点ばかりであり、彼は妻の姿が見えなくなったことで、殺人事件が起こったのではないかと推測し始めるのです。

とても面白い構成でした。
ヒッチコックの発明だと思います。人間の持ち前の想像力を掻き立てる人間群像劇。
そしてそこにミステリーが生まれます。改めて考えてみれば、ミステリーは起きた出来事に対して誰かが疑惑を持ち、不信感を持ち、事件として見るからミステリー足り得るのです。

物語を見聞きして事件を解決する安楽椅子探偵というジャンルもありますが、本作の場合、ジェフは思いがけず安楽椅子探偵となります。
ただ、本作がミステリーとして異色であるのは事件そのものが起きたかどうかも分からないという点なのです。

ジェフを演じたジェームズ・スチュアートは他にも『めまい』や『知りすぎていた男』などヒッチコック監督作品に主演を重ねている名優です。名タッグと言っても良いのでしょう。
恋人リサ役を演じるのは後のモナコ公妃となるグレース・ケリーです。彼女が出演する映画は初めて見ましたが、実に美しい女優でした。
本作のリサもそうであるように、一つ一つの所作や表情に気品があります。なんとも麗しい。名前だけは知っていましたが、その人気も納得の名女優だったのだと感じました。

このリサと看護師のステラがジェフの推理を確信へと変えていく相棒役を担います。
女はお気に入りのカバンを自宅に置いて旅行になど行かない、宝飾品をカバンに入れたままにしないと女性目線での価値観を教えてくれるのです。
極め付けは、結婚指輪は死ぬまで外すようなことはないという考えを持って、彼女が事件に巻き込まれた可能性が高いことを示します。
すべて状況証拠に過ぎないため警察の友人は大して本腰を入れて動いてくれないのですが、リサとステラはジェフの推理を確かめようと動き出してくれるのです。

ちなみに、本作ではミステリーと同時にジェフとリサの恋愛関係も描かれます。
リサはジェフと結婚することを望んでいますが、写真家のジェフはそれを望んでおらず、彼は理屈を並べて今の関係を維持しようとします。
時には危険な場所へも行かなければならない写真家として、上品で育ちの良いリサとどこまでも行動を共にすることはできないと考えているのです。
二人は考えのすれ違いを巡って度々口論になってしまいます。

ところが、事件を通してリサは思いがけない一面を見せ始めます。
足が骨折していたことが本作におけるジェフの最大の悩みでした。本来なら活動的なジェフが一番にソーワルドの家に忍び込んで証拠を押さえたかったはずです。仕事にも直結します。
ところが、彼は今、窓際から動けません。その足代わりになるのがリサだったのです。
リサはソーワルドへの脅迫文を投函しに行ったり、何かが埋められたらしい花壇を掘り返したり、次第に行動が大胆になっていきます。
そして遂に留守中にソーワルドの自宅へ侵入し、男と鉢合わせしてしまうのです。

この大胆かつ勇敢なリサの行動力にジェフの彼女への思いは完全に覆ったはずです。
彼女は思っていたような女性ではありませんでした。高そうな服を着てハイヒールを履いていても、彼女の心は探究心に満ちていたのです。まさにジェフにお似合いの活動的な女性だったのです。
それもまたジェフの思い込みだったということです。
思い込みによって、人は人を決め付けてしまう。本当の姿は思いもがけない瞬間に垣間見えるということなのでしょう。

リサがソーワルドと鉢合わせしてから事件は急展開を迎えます。
リサの合図によってジェフが覗き見していることがバレてしまい、ソーワルドが向かいに住むジェフの自宅へと侵入してきます。
そして、リサが証拠として盗んだ結婚指輪を返すよう要求し、ジェフに危害を加えてくるのです。
警察が駆けつけ、ジェフはなんとか一命を取り留めました。ソーワルドは確保され、彼が隠したという"何か"が見つかったことも知らされます。

ところが本作の醍醐味は、ソーワルドが何を隠し、そして本当に事件があったのかどうかは最後まで描かれないということです。
警察に確保された後、シーンはソーワルドに部屋から落とされて今度は両足を骨折することになったジェフとそれを穏やかに看病するリサ、そして平穏に日常を過ごす住民たちが映されます。そのまま映画は幕を閉じるのです。
事件が何だったのか、単なるジェフの勘違いだったのかは分からないままです。

それは本作が徹頭徹尾、単なる「覗き見」による想像力が作り出した物語であるからなのでしょう。
事実がどうであるかは関係ありません。想像するだけで人々の日常はミステリーにもなるし、あるいは滑稽な勘違いコメディに過ぎなかったのかもしれない。

またはそれだけでは済まない話かもしれません。ジェフは一方的にソーワルドを悪人だと決め付けていましたが、ソーワルドがもしも善人だっだ場合、彼の視点に立てばジェフとリサたちの行動はかなり悪質です。
日がなプライベートを勝手に監視され、挙句に身に覚えのない脅迫文を送りつけ、留守中に自宅に不法侵入する始末です。
指輪を盗まれ、ソーワルドとしては犯罪者を追い詰めて懲らしめようと思っていたのかもしれません。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのです。ジェフによる覗き見趣味は、もしかすると悪質かつ犯罪に近い危険な行動だったのかもしれません。
実際の真実はどうだったのでしょう。

一つだけ気になるシーンが残りました。基本的にはジェフの視点でミステリー要素が進んでいくのですが、一度だけジェフが眠っている隙にソーワルドが動き出すシーンがあります。
事件のあった夜、ソーワルドが何度もカバンを運び出した後、彼は顔の見えない女性を連れて部屋から出ていくのです。ジェフはその瞬間、たまたま眠りに落ちて見ていませんでした。事件があったとするならば、二人の外出は犯行後の出来事です。
あれは妻だったのか、あるいは別の女性だったのか。いずれにしてもおそらく彼女が、駅までソーワルドが連れて行ったという目撃情報のある女性だったのでしょう。
このシーンと目撃情報があるだけで、妻が生きている可能性もグンと高まっていたと思います。
たったワンシーンも緻密に計算されていました。

「覗き見」一つで人間ドラマの可能性を広げる本作の構成が素晴らしかったです。