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ジャージー・ボーイズのninjiroのレビュー・感想・評価

ジャージー・ボーイズ(2014年製作の映画)
4.8
こんなにも感動させられるとは!

既存舞台の映画化という情報、ミュージカルというジャンルに対する苦手意識から少なからず本作を敬遠していた自分の浅はかさを悔いた。
本作を観るに際し、例えフォー・シーズンズというグループを知らなかったとしても、例えミュージカルに苦手意識を持っていたとしても、全く問題はない。
何故なら本作は、そんな瑣末な問題を受け付けない程に滅法面白く、広義のミュージカルでありながら紋切り型の所謂ミュージカルとは全く異質であるからだ。

単にドラマとして見るならば、それ自体が何か心を揺さぶる感動を呼ぶものかといえば決してそうではない。
寧ろその筋立てはこうした所謂アーティストの伝記ものに如何にも良くある、生い立ちの不遇→思いがけぬ夢との邂逅→目的に向けての奮闘→成功→挫折→…etc.といったテンプレートにぴったり当てはまっており、これぞ絵に書いた王道という風情を全く憚る気配もない、堂々とした古臭さを前面に立てている。

尤も、音楽劇・特にブロードウェイミュージカルというものは門外漢の私が憚りながら想像するに、その様式と舞台演出をこそ一義とするもので、ストーリー本編自体に奇を衒ったものは必要ない、寧ろ邪魔なものなのであろう。
映画本編で語られるストーリーも、ほぼそのような王道でありながらストイックな骨組みの下組み上げられており、ただそれだけを見れば真っ当なメロドラマとして一笑に付されるようなものである。
しかし本作では、そんな安いメロドラマに余りに寄ることが無いよう、あるところまで一線を引き、恐らく意図的に且つ綿密にロマンティシズムというものが排除されている。

例えば進行上差し込まれる登場人物が入れ替わり立ち替わりにカメラを向いて語る演出は、前出の主観的ロマンティシズムの排除のための演出であり、ミュージカルの映画化と言えばという密接不可分な「ドラマ部分から突如として立ち上がるような歌と踊り」といった演出が全くと言っていいほど無いにも関わらず、全編を音楽・ミュージカルと見立ててそのテンポを落とさないよう加えられた演劇的でありながら映画的にも効果的な演出である。

それは、飽くまで音楽の持つ力を際立たせるため。

同じ空間を共有し、流れる汗や息遣い、高ぶる鼓動までを感じ得る舞台と較べ、スクリーンや画面を眺める我々にはそのような臨場感を伴う純正のエモーションが織り成すグルーヴは望むべくもない。
しかし、イーストウッドはそれを重々承知の上で本作を演出することを選び、彼にとって密接する音楽に対する愛、映画に対する愛を均等に、高らかに謳うのだ。

本作では、登場する人物それぞれに様々な思惑がありながらも飽くまで音楽を中心として回るドラマが描かれる。
周辺には友情や愛、金やそれに対する不信が常に付きまとうが、初端から結論まで、つまりは音楽が紡ぎ繋げた絆や、共鳴し合う美しいハーモニーに初めて触れて心震えた感動が何処まで人を突き動かすかという、誰にも覚えのある感情の機微にクローズアップしてそこを外すことはない。

その最たる例として、「あの曲」が何故・どの様に産まれたのか。
私個人が初めてその曲を聴いたのは幼い頃、フランキー・ヴァリのヴァージョンではなく、ご多分に漏れず幾つかの有名なカバーヴァージョンの一つだったと記憶しているが、それでもこの曲が作り手にとっても特別な曲であるということが肌感覚で伝わってきたのを覚えている。言ってみればベタなラブソングには違いないが、何よりその見事な曲構成に、単にインスピレーションで産まれたものではない、何か切実な想い、一本一本大切に糸を編むように念がこもった丁寧さを感じたのだ。
本編中その糸が紡がれる様は実はほんの少ししか示されない。
しかしそこに込められた想いは映画的な演出により何時しかごく自然に観客に託され、我々の多くも慣れないながら心の中で共に糸を編もうとするだろう。
編み上がった想いが形になる瞬間が画面に示される時、フランキーが唄う歌が誰に向けられたものかを知った我々は、固唾を飲み、拳を握りながらそれを見守り、彼が唄い終えた表情と画面向こうでそれを見守る人々のリアクション(我々の分身に他ならない)のクローズアップに、底知れない感動と溢れる愛、音楽が起こし得る奇跡を目の当たりにして打ち震える。
その曲自体が持つ説得力が、映画的演出の力を借りて更なる輝きを得る瞬間。
そして改めて我々にとっても「あの曲」は、今後も心に残り続ける特別な一曲となるだろう。

そして最後に我々に送られるカーテンコール。
原典となる舞台があるとは言え、なんと感動的にして心躍る若々しい演出だろう。
そこで初めて本作はミュージカルのフォーマットに沿った演出を添えてその息吹を伝え、これまで端整に描いたドラマとの均衡を俄かに崩すことで、舞台の世界を包括するほどの感動を呼び寄せる。
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