らもちー

アマデウスのらもちーのネタバレレビュー・内容・結末

アマデウス(1984年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

面白かった。モーツァルトというと音楽の教科書に載ってるだけの人物で生活感を感じないというか実在したと思えないというかAI?みたいな…伝説みたいな……そういうイメージしかないのだけど、この映画を観るとモーツァルトもひとりの人間で、調子に乗ることもあるし酒に溺れたり妻がいたり子供がいたり……ちゃんと人生があったんだなぁみたいな事を思った。

誰よりもモーツァルトの才能を深く理解したのにだからこそ妬んでしまうサリエリの姿は人間の本質な気がする。

BGMで入る音楽が当時の空気感を伝えながら効果的に場面を盛り上げていて最高ッ



モーツァルトを死に追いやったことを嘆く老サリエルの自殺未遂のシーンから始まる。精神病院のような場所に入れられたサリエリは牧師に自分の犯した罪を告白し始める……


サリエリは幼少期から音楽に魅了されるが父親の理解を得られず音楽の道へ進む機会に恵まれなかった。対照的にモーツァルトは小さい頃から父に導かれ才能を発揮していてサリエリは羨ましく思っていた。音楽の道に進むことを神に祈る日々の中、ある日父が死にサリエルは晴れて音楽の道へ進む。音楽でそれなりの地位に就いたサリエリはある日モーツァルトと対面することになるが、モーツァルトはサリエリの想像とは全く異なる下品で快楽的で自分の才能に圧倒的な自信を持つもはや傲慢な人物だった。禁欲的な生き方をしてきたサリエリにとって才能にも女にも恵まれるモーツァルトは妬ましかった。ある日ダンスパブみたいな所でサリエリはモーツァルトが自分のことを盛大に馬鹿にして笑ってるところを目撃し、サリエリは神への信仰を捨てモーツァルトにバレないように嫌がらせをするようになった。サリエリによる圧力とモーツァルト自身の怠慢が相まって、モーツァルトの生活は次第に困窮する。


モーツァルトの最愛の父が死に、それにインスピレーションを受けてモーツァルト自身が作ったで不吉なオペラ、それをみたサリエリはモーツァルトの父の亡霊を演じモーツァルトを精神的に追い詰める。


モーツァルトは死に、それからサリエリは30年以上苦しみながら生きてきた。(告白終了)
モーツァルトと比較すると自分は凡庸でそれがひどく悲しく、でも凡庸なのは自分だけじゃなく、ひとつの圧倒的な才能の前ではみんな等しく凡庸なんだ、それを許そうという感じで終わった。(牧師が冒頭で「神の前では人はみな同じ」みたいな事を言うが、サリエリの告白はこの発言への突っかかりみたいなところがあるっぽい。神に与えられた人と与えられなかった人の差は圧倒的でそのために自分は苦しんだみたいなことを話しているっぽい)
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